生産性向上とか

生産性向上とか、一人当たりGDPを上げるとか、

色々言い方はありますが、“国として”求めていくべきは、

人々が、どれだけの労働をして、その労働がどれだけ社会全体としての富の増加、

または毀損防止が成されたか。

 

で、その為に、

 

出来るだけ多くの人に働いてもらう為の、雇用創出とか失業率を下げるとかの就労状況改善。
働く人がより働けるような待遇改善。
人々の活動の基礎となる生活環境整備。
人々の活動を側面から支える医療等健康関連システムの整備。
更に、活動期間に制限のある労働者の入れ替えの為、出産子育て教育等を可能にする仕組み。

 

これらで労働量の維持又は増加を目指す。同時に、労働量を減らさない為に、

 

働く人を壊さないよう過剰労働禁止や労災防止対策等労働環境整備。
緊急事態に備えての警察・消防・救急等の整備。

 

これらで、有する労働力を最大限発揮される状況を作り出す。


また、その労働力がより有効に使われるよう特定の労働を推奨したり制限したり禁止したりして調節する。これによって、成された労働でより多くの富の増加を得る。


これが“国として”求めていくべきことで、多くの人々にとって歓迎出来る話。

 


企業レベルでの、人員減らして生産性向上を目指すような話は、国レベルではちっとも有難いものではない。なんたって国は低能力者でも面倒見続けなくてはならないのだから。切り捨てて終わりに出来ないのだから。

結局自分で判断せざるを得ないゴミの山

ネット上には、様々な発言がある。真逆の意見もある。そのまま、ある。
他者の批評やら意見やら受けて潰されたり修正されたりせず、
洗練も深化もせず、淘汰されることもなく、そのままの状態で存在し続ける。

そんな状態なので、人は、大量の情報を自分で漁って、自分で分析し、
自分なりの判断で答えを出さざるを得ない。
そして、自己完結の独り善がりの答えに辿り着いて終わり。

 

それをネット上に自分の意見として発言したとして、
何の反応もなかったり、一部から賛同を得たり賞賛されたり、
他の一部から批判されたり罵倒されたり。
色々あったり無かったりだけど、出した答えに影響はなく、そのままあり続ける。
自分の中にもネット上にも。

 

 

今のネットは、それぞれがそれぞれに得ている情報の中で、自己流に判断して発言しているに過ぎない意見が、大量にそのまま存在し続けてるだけのもの。どれが正しいなんてわからない。個人的に正しいと思い込むことしか出来ない。

 

私は、個人の意見が激しく非難を受けて潰されるという淘汰が起こる社会にしなくてはいけないと思う。
個人の意見を尊重するとか大間違い。悪いと思えば叩けばいいし、大勢が悪いと思うものなら叩き潰されて然るべき。もっと厳しくあるべきだと思う。

 

ゴミの山と化した今のネットは人々を賢くする道具にはなり得ない。

“課題”

まず人々が何を欲するか。

1、活動方向で、
  進歩・成長・発展等、課題克服を目指す行為。

2、休息方向で、
  心身の疲労回復、精神リフレッシュの為の、快感や快楽を得る目的の行為。

3、常時必要となる、
  栄養補給・睡眠等、生命維持の為の行為。

これらが人が欲求する行為で、これらの為に人が欲しいと思うものがニーズ。より良い社会を作る為に、社会を構成する個々人のこれらニーズを満たすことが目指される。


ここで考えねばならないのは、ニーズを満たせば満たすほど1のニーズを満たすことが難しくなること。何故なら1の肝は課題の存在だから。課題とはニーズの不足を如何に満たすかという問題で、問題が解決し不足してたニーズが満たされると、その分解決すべき課題が減ってしまう。課題は簡単なものから解決されていく。未解決な課題というのは徐々に難易度が高くなる。その結果、能力の低い者は課題に挑めなくなる。

 

課題に挑めなくなった者は、自身が生きてる意義を見出せなくなる。幸せを感じることが出来なくなる。あるいは、課題ではない課題や、実際には存在しない課題に挑み、自身の課題に挑む欲求を満たそうとする。後者は形はどうであれ課題に挑んでるのだからいいようなものだけど、この者は他者にとって迷惑な存在で、社会としてこれを良しとしていいかどうかは問題。

 


時間切れ、とりあえずここまで。
一足飛びに結論だけ書いとく。
課題を解決すれば良い社会になるってわけではないってこと。

生きがいとしての“課題”

人が生きがいを感じて生きられる社会に必要なのは課題。
そして、それに挑める社会環境。これらが存在する社会が、
人々が生きがいを感じて生きられる社会。

 

必要となる課題は、個々人の能力や適性に応じた多種多様な課題。
能力の高い者には難解な課題。低い者には低難度の課題。
個々の人々が挑もうという意欲を持てる高過ぎず低過ぎずの課題。

 

そういった課題が過不足なく存在する社会が、生きがいを感じられる社会。

新しい社会の為に

社会的に新しいことをやるには、複数同時並行の試行錯誤が必要で、
その実行を妨げるのは、不公平への抵抗感と失敗に対する不寛容です。
試行錯誤には失敗がつきものです。社会システムの失敗は不公平を生みます。
不公平失敗をやむを得ないものとして許し、不公平となることを許容する姿勢が、
社会を変革する為には何より重要ではないかと考えます。

今こそ改憲論議を

多くの人が時間持て余してる今、議論しまくって国民投票までしてしまえばいい。
こんなことが出来るのは今しかない。今なら通常時より遥かに多くの時間を憲法を考えることに使える。今こそ改憲論議を。そして改憲を。


コロナ対策は、全員が全力を尽くして考えるようなものではない。良く知らない素人があーだこーだ考えても良い答えが出るわきゃなく、無意味で無駄。そこはそれぞれの専門家に任せればいい。そうすれば、コロナ対策に関わる専門家以外は別の事が出来る。政治家だってそう。全員が全員、コロナ対策で動く必要はない。行政府に居たとしてもそう。基本は分業。本当にコロナ対策に関わってる政治家なんて限られてる。大半がやってるフリしてるだけ。そんな無駄なこと止めて意味あることをすべき。コロナ対策以外にもやることは山ほどある。改憲もその一つ。今こそすべき。

批判精神でしゃべるヤツ

分かってくれ、わかって欲しいという気持ちがない。
分かろうという気持ちも更々ない。
相手を馬鹿にして頭から否定して掛かり、自分の言うことを聞けの一点張り。
そんな奴の言うことなんて独り善がり確実。聞く価値なし。