弱いのでなくやさしい?

報道2001にゲストで出てたNPOジェントルハートプロジェクト理事の武田さち子さんが持ってきてた色紙。
虐められる子供は弱いのでなくやさしいのですと言って出した色紙。ほんとにそうか?



◆自殺した子供のメッセージ
亡くなる四日前にお母さんに。
<やさしい心が一番大切だな>
やさしい心が一番大切だよ。それを持っていないあの子達の方がかわいそうなんだ。


やさしいんじゃねーよ。弱いんだよ。
弱さをやさしいという言葉で誤魔化してるだけ。
かわいそうだってのはいいけど、だからって何かしたのか?
それではいけないんだよとその虐める子に言ってあげたのか?
やさしさの大事さを気付かせるようなこと何かしたのか?
何にも出来ずにただ耐えて鬱になって死んだだけだろ。
怒るってのにはその人の為を思って怒るてのもあるんで、
かわいそうだと思うなら尚更怒らねばならなかった。
でもきっと何もせずにただ耐えて死んだ。弱いんだよ。


弱いってのは悪ではないよ。でも弱いままでいいものでもない。弱ければ強くなればいい。生きていけるだけの強さは身に付けなければいけないのであって、それが成長でありそう導く事が教育。弱さを誉めてたら成長出来ない。このメッセージは誉めてていいようなものではない。


◆リンチで殺された子供が日頃友達に言ってた言葉。
<僕は友達を殴れない 殴ったら友達でなくなるから 仲直りできなくなるから>
最後のリンチの時にも殴り返した跡はどこにもありませんでした。


こらもう最悪。どっからどう見ても弱いとしか言いようがない。全く無抵抗でリンチを受けて殺されたって、生物としての防衛本能すら働いてない。だいたい何だってリンチ加えてくる相手と友達でいようとする? 虐められながらでも離れられないくらいに弱かったのだろう。殴っても友達でいる方法を知らない、仲直りの方法を知らない、もう問題だらけ。こんなだから殺されるまで虐められることになる。この弱さは未熟という弱さ。やさしいと誉めるようなものでは決して無い。


子供のコミュニケーションの手段として相手に意地悪するってのがある。やり返してくるのを期待してつついたり叩いたりとチョッカイ出すってのが。チョッカイ出してる方が期待してるのはやり返してくる事。それで関係を持とうとする。それをやり返さないってのは無視と同じ。人は無視されるというのが一番腹が立つ。その無視と同じ。だからやり返さないと逆に怒らせて意地悪してくるようになる。やり返させようと意地悪をエスカレートさせる。 やり返せばいいんだよ。怒ればいいんだよ。それがコミュニケーションになって仲良くなりもするんだよ。そういうことがわかってない。仮に喧嘩になって決定的に仲違いしたっていい。別の友達作ればいいのだからそれでいい。後で仲直りすることだってある。それもわかってない。わかってないというより出来ないんだろうけど。もうどうしようもなく未熟。



こういったメッセージをやさしいなんて誉めてしまうその考え方こそが虐めの犠牲者を生んでると思う。やり返してはいけないんだというその考えが一方的に虐められるしかない状態に子供をしてると思う。そういった考えで縛られてない限り無抵抗で死ぬなんてこと出来ない。人間の生物としての本能がそれを許さない。上では未熟と書いたが単純な未熟ではない。この未熟さは教育に拠って身に付けた未熟。そうなるように教育されて、それを受け入れて身に付けた未熟。意図的に作られた未熟であり、ある意味理想。だからジェントルハートプロジェクトの理事はこれを誉める。やさしいと凄く良い事のように褒め称える。しかし結果は虐められての死。。。
まあ強いと言えば言えなくも無いけどね。死ぬまで自分を縛り付ける程に強い。でもそれって対外的には実際以上に自分を弱くさせる。強ければ強い程弱くなる。弱くなって対処出来るものも対処出来なくなる。そんな強さはマイナスでしかない。




私の虐め問題に対する解決策は「怒れ、やり返せ」であり、「それが出来る力を子供に身につけさせろ」
この真逆を行ってるのがジェントルハートプロジェクト。どちらの考えがいいと思いますか?


人気blogランキング