人がプロパガンダだと気付く時

人はどんな時にプロパガンダだと気付くのか。

長々とした説明ではまず気付けない。
話が長くなると複雑になってわからなくなる。
難しく込み入った話も駄目。理解出来ないままで終る。
それ以前に聞かない。読まない。
資料も駄目。資料の精査なんて一般人に出来る事ではない。
資料を使った話も駄目。資料の精査が出来ないのだから信じるか信じないかだけ。
こうなれば当然元々信じてる方を信じる。プロパガンダに嵌ってればそのまんま。


プロパガンダだとの疑いを持ってからなら長い話も難しい話も資料も意味がある。
疑いを補強し確信に変えるという点で有効。でもこれで気付く事は無い。


ではどこで気付くかと言えば、単純で明らかな間違い。
それも理屈でなく感覚的にわかる単純で明らかな間違い。

これが一つ二つでなく沢山積み重なると初めてプロパガンダだと気付く。


その間違いとは理屈でなく感覚的なもの。理屈ではもっともらしく思えたりしても感覚的には「変だ」と感じるもの。もちろん理屈で変だとわかるものでもいいのだけど、必須なのは感覚的なものの方。「何かよくわからないけど、これって絶対おかしいよ」と感じるもので十分。これでプロパガンダの疑いを抱く。それが積み重なってプロパガンダと確信する。

だからプロパガンダに気付かせようと思うなら狙うはこれ。
「何かよくわからないけど、これって絶対おかしいよ」
ここを目指して話や議論をしていく。
大事なのは感覚。理屈にはそんなに拘ることはない。
論破なんて考えなくていい。どうせ相手は論破を認めない。
「絶対おかしいよ」と思えるところに持ち込めればそれでいい。




仕掛ける方は逆にそこを誤魔化す。わかりにくくする事で誤魔化す。
理解し切れないようにするという方法で誤魔化す。

●難解で複雑な言い回しをしてポイントを絞れないようにする。
ポイントが絞れないので全体を見てしまいボンヤリとしたイメージしか掴めなくなる。

●誤読を誘うような言い回しをする。
そこで思考が引っ掛かってしまい、集中を削がれて内容の把握が出来なくなる。

●多くの情報を浴びせる。
混乱して思考の収拾がつかなくなり情報の把握だけで精一杯になる。こうなると考える事は出来ない。

●多数の論点を同時に扱う。また、論点を次々変えていく。
一つの事に集中できなくて、それぞれに浅い思考しか出来なくなる。

こうして思考を引きずり回される事で普通なら気付ける事にも気付けなくなる。たとえ気付いても処理する前に別の事に気を取られるので曖昧なまま霧散する。これはプロパガンダを仕掛ける者がやるだけでなく、自身で勝手に嵌ってる場合もある。難解で複雑な理論を構築して自分自身が誤魔化されてしまったり、基本的な国語力がいい加減で自分自身の言葉に引き摺られて間違いを犯したり、溢れかえる資料でかえって混乱したり、複数の問題を一度に扱って浅い思考でグルグル回って先へ思考を進める事ができなくなってたり。まあ意図的だろうと無意識だろうとやってる事は同じなんでどうでもいいんで、要は複雑にしてわかりにくくしてるって事。であれば整理してわかりやすくしてやればいい。

平易で読み易い書き方に書き直す。
論点を切り分け一つに絞り込む。
論点を絞り込む事で扱う情報も絞り込む。
そして誰もが理解出来るところまで持ち込めばいい。
扱ってる論点だけについてわかればいい。
「絶対おかしいよ」と思えるくらいにわかればそれでいい。


感覚的な「絶対おかしいよ」
プロパガンダを破る際に目指すのはこれ。
主張の中のこれを探し、これを抽出し、これを晒す。


的確な感覚的な一言コメントがプロパガンダを気付かせるには一番効果的です。気付いた後の補強となるとまた別だけど。

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感覚的なもので気付くので、感覚がおかしかったり未熟だったりすれば気付けない。どんなに説明されても気付けない。理屈の方はいくらでも屁理屈が捏ねられる。自分の考えを肯定出来る屁理屈に逃げる。その屁理屈に付き合ってたら話がどんどん込み入ってきてわからないものになる。感覚的におかしい人に理屈で気付かせる事はまず無理。気付かせる事は諦めるしかない。「絶対おかしいよ」と思えるところまで持ち込んだ後は受け取る人に任せるしかない。気付く人は気付くし気付かない人は気付かない。それは仕方ない。全員に気付かせる必要はない。気付く可能性のない相手に拘る事はない。


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