情報は言論の自由に含まれない

言論の自由で尊重すべきは言論。
情報は言論の自由に含まれない。


これで世の言論の自由を巡る混乱は整理出来る。
世間一般に思われてる「言論の自由」から情報を伝える言葉を除くと、
言論に対し100パーセントの自由を与えても良くなる。


言論の自由は確かに尊重すべきものだけど、こういう発言は駄目だろう」とか
言論の自由があるにしたって自主的に控えるべきだろう」とか。

誰もがこう思う事があると思う。そして、それを念頭に、言論の自由は尊重されるべきものではあるが、現実には何を言っても自由なわけではない。言論の自由は無制限の自由ではない」と言論の自由を理解してると思う。現実に何を言っても自由なわけではないことを知ってるから辻褄が合うようこのような理解の仕方をする。そして、このような理解をしてるから言論の自由で許される範囲はどんなものかで考える。
では言論の自由で許される範囲とは?
これを考える時に行うのは、許されるものと許されないものが混在する中で、それを許されるものと許されないものに切り分ける作業。どこで切り分けるかに悩む非常に難しい作業。現実問題明確には切り分けられない。だから混乱する。この隙を突いて言論の自由の悪用もされる。




言論の自由は確かに尊重すべきものだけど、こういう発言は駄目だろう」とか
言論の自由があるにしたって自主的に控えるべきだろう」とか。

このように思う時に許されないと考える発言がどういうものかを思い起こしてみて欲しい。
その多くは情報に分類されるもののはず。
一部は気に入らない主張であり不快と感じる意見や主張。でも多くは情報のはず。
事実と異なる発言。
事実を捻じ曲げた発言。
でっち上げの根拠無き発言。
やってもないことをやったとする発言。
誹謗中傷等々。
これは全部情報。ある情報を他に伝えようとして発信するもの。
理屈などなくこうだと伝えるもの。こうだったと伝えるもの。
こういう事実があるのだと、あったのだと伝えるもの。
意見や主張でなく情報。
言論の自由に情報を伝える発言を含まないとすれば、これらは全て言論の自由と切り離して考える事が出来る。言論の自由を一切傷付けずこれらの発言を禁ずる事が出来る。言論の自由との兼ね合いを考える必要はまったくない。これらを取り除けば言論の自由は100パーセント認めていいものとなる。一々許されるかどうかなんて考える必要はなくなる。先に書いた難しい発言の切り分けをする必要もない。例外の無い100パーセント認められた言論の自由が確保されることになる




情報でないもう一方の許されないと考える発言、
「気に入らない主張であり不快と感じる意見や主張」
これはどうなのか?

正にこれこそが言論の自由で保護すべきもの。
言論の自由の尊重は為政者が気に入らない発言を抑え込むことを防ぐ為のもの。
為政者が気に入らない発言を抑え込むことを防ぐ為に法律に尊重を規定されてる。
耳に痛い批判や非難、不快に感じる自身の間違いへの指摘等々。
そういった抑え込みたくなるような気に入らない主張を抑え込ませない為に。
始まりは為政者に抑え込ませない為であったが今は為政者に限定したものではない。
誰もが気に入らないからと言って発言そのものを抑え込んではいけないとなってる。
(何故そうなのかはこちらに書いてるのでここでは省く。)
この「気に入らない主張」というものこそが言論の自由で保護すべきもの。

それが「現実には何を言っても自由なわけではない。」という考えを基に抑え込もうとされる事が多々ある。許される必要の無い禁じられるべき情報発信を言論の自由に含めて捉えてるからこういう事になる。言論の自由の中に禁じられてもいい特例が設けられる為にこういう事になる。結果、尊重すべき言論の自由が蔑ろにされている。


言論は100パーセント自由。
情報は言論ではない。言論の自由には含まれない。
事実と異なる偽情報は禁じられるべきもの。


これで物事はスッキリする。
各人これを現実の色々なケースに当て嵌めて検証してみて欲しい。
納得出来る切り分けが出来ることが実感出来るはず。
やってはいけないと感じるものがやってはいけないものとなり、
認められるべきと感じるものが認められるものになる事を実感出来るはず。
言論の自由を悪用してる人は納得しないでしょうけど)




参考エントリー
言論の自由は嘘まで許してはいない



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