サヨ&サヨもどき

私の中でのサヨの判定基準は通常言われてるものとは違う。世間一般と違う事は認識してるので書くときには「サヨと同じ」とか「サヨみたい」とか「サヨと変わらない」とかそんな書き方をする。でも本当は私はそれらを全て同じと見てる。同じ特徴を持つ一つのグループだと見てる。その特徴は、

1.理想を当然と考える。
2.自分主体で考える。
3.物事の道理を弁えない。

派生的に生ずる特徴まで書いていくとキリが無いが突き詰めるとこの三つ。更に突き詰めると3にまとめられるのだけど、まとめ過ぎて理解してもらえない気がするのでこの三つ。この三つをもう少し詳しく書くとこんな感じ。

1.理想を当然と考える。
  及第点となる基準を理想に置き、それに至ってないものは駄目なものと捉え不満に思う。
  当然の事ながら現実は理想には程遠い。世の中の全てのものが理想からは程遠い。
  拠って必然的に、常に、全てに対して、不満を抱き続ける事になる。
  肯定的に見るのは理想以上。理想以上のものなんてそうそうない。
  だから肯定的に評価する事はほとんどない。非難ばかり。
  ただし理論は高く評価したりする。実体の無い理論上であれば理想も有り得るから。
  よって虚構を高く評価する。現実にあるものを評価することは稀。非難ばかり。
  常に不平不満を訴え、非難ばかりをしている。(ただし同類は持ち上げるw)


2.自分主体で考える。
  自分が納得出来るものを正しいと思い込む。
  自分が納得出来ないものは間違ってると思い込む。
  反対意見には耳を貸さない。
  自分の考えを肯定する意見や情報ばかりを追い求める。
  自分の考えを否定する意見や情報はたとえ突きつけられても無視する。


3.物事の道理を弁えない。
  有り得ない事を可能性にすがって追い求める。
  変えようの無い物事の道理を覆せるものとして考える。


こういう特徴を持つ者を私はサヨと認識してる。日本の左翼は100%この特徴を備えてる。左翼とまでいかないサヨにもこの特徴がある。そして右翼・ネットウヨクにもこの特徴を持った人達がいる。たとえ主張が右寄りっぽいものであっても私にとってはこの人達はサヨと同じ。私が訴えたい事は実のところ右でも左でもない。私が訴えたいのは上記の三つの反対。


今現在の現実を受け止め、自身の考えを疑う事を知り、物事の道理に沿って考える事。


拠って、たとえ右翼・ネットウヨクであろうと上記の三つの特徴を持った人達は私にとっては非難すべき相手。逆にそうでない者は、たとえサヨっぽい主張してようと私にとっては好ましい人物。

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「今現在の現実を受け止め、自身の考えを疑う事を知り、物事の道理に沿って考える事。」


こう書くと何やら難しい事のように思えるだろうが、普通は誰もが当たり前のようにやってる事。普通は現実に即して考える。普通は自分が間違ってるのかもと考えたりもする。普通は意識することもなく物事の道理に沿って考えてる。そうでない人は非常識な人、独善的な人、身勝手な人と言われる。非常識な人でなければ普通にやってる。この普通やってる事を皆がやってくれたら私は満足。これだけの事をやってくれたら何も文句は無い。後は個々の選択に任せ、非難はしない。提言はするけど非難はしない。