過去は許す。でも・・・

済んだ事なら許す。でも済んでないなら許さない。

日本非難決議案は東京裁判の再現。日本非難決議案は東京裁判を実感として感じられるものであり、過去の話でなく今の話として東京裁判を実感として感じられるものである。


日本非難決議案は結果ありきの欠席裁判。被告側に一切の証言をさせず弁護士も付けず、証拠はなく検証もせず、原告側の証言だけで作り上げる魔女裁判。実にわかりやすい典型的な魔女裁判。自分達の行った行為には頬かむりして、日本を罪人に仕立て上げようとしてる。今の時代のアメリカが堂々とこれをやってる。これで過去の東京裁判が今に繋がった。東京裁判が時代の違う過去の話ではなくなった。このことは日本人にとっては大きな意味を持つ。




“過去の事”
これは日本人にとっては悪行を働いた者を許す免罪符となるもの。


昔悪いことをしていた。
でも今はしていない。
もうやることもないだろう。
であれば過去の悪事は問わない。許す。


これが日本人の感覚。「過去の事は水に流す」という感覚。たとえそれで自分自身が被害を受けてたとしても済んだことだと許して口に出さない。過去の事だ、済んだ事だと自分に言い聞かせ、許そうと努力し、許す。それが日本人の感覚。


日本人が散々痛めつけられたアメリカを憎まないのもこの感覚があるから。大空襲も原爆投下もこの感覚で日本人はアメリカを許してる。反米右翼は度々米軍の大空襲や原爆投下を持ち出して日本人の怒りを掻き立てようとする。でもそれに同調して怒りを掻き立てられる日本人は多くは無い。ほとんど居ないと言っていいくらいいない。むしろ掻き立てようとする者に対して怒りを抱く。過去の事を持ち出す嫌な奴だと鬱陶しがられる。それは日本人にこの感覚があるから。


過去のこと。済んだこと。日本人はこれで全てを許してしまう。東京裁判もそう。たとえその出鱈目さを聞いても過去の事だからと追及しない。その事で今の日本に問題が発生してるとしても、それで自分が害を受けてるとしても、遡って東京裁判を行ったアメリカを責める事はしない。過去のことだからと許す。


日本人が許すのは昔の事だから。昔の事で済んだ事だから。
過去の事だから許しても実害が無い。
許さないと言ったところでやり直させる事など出来ない。無益。
そう感覚的に感じ取るから日本人は過去の事は許す。
(これは日本人の美徳だと思う。私が日本人に持ち続けて欲しい感覚でもある。)



しかし日本非難決議案で東京裁判が今と繋がった。
東京裁判当時のアメリカと今のアメリカが繋がった。
東京裁判も当時のアメリカも昔の話でなくなった。


こうなると話はまったく違ってくる。済んだ過去の事なら許せる日本人でも、まだ終わってないとなれば許さない。東京裁判と当時のアメリカが今と繋がったという事は、東京裁判は継続しててまだ終わってないという事になるし、当時のアメリカがそのまま今のアメリカだという事になる。理屈でなく感覚的にそう捉えるようになる。東京裁判が今に繋がれば東京裁判を許す理由が無くなる。追求を控える理由が無くなる。それは過去に遡って東京裁判を追求する事に対する日本人の感覚的な抵抗感を無くす。今のアメリカが当時と変わらぬアメリカとなれば今のアメリカを許す理由が無くなる。当時の事でアメリカを責める事に対する日本人の感覚的な抵抗感を無くす。


済んだ過去なら許す。でも継続中なら許さない。これは頭で考える理屈でなく感覚。日本人の感覚。理屈は言葉で誤魔化せても感覚は言葉では誤魔化せない。感覚はどんな理屈も撥ね退ける。日本非難決議案は日本人の中の米国を許す感覚と東京裁判史観の崩壊の契機と成り得る。



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追伸
「反米右翼は度々米軍の大空襲や原爆投下を持ち出して日本人の怒りを掻き立てようとする。でもそれに同調して怒りを掻き立てられる日本人は多くは無い。ほとんど居ないと言っていいくらいいない。」

この部分納得し難い人多そうだけど、実際そうでしょ。反応はかばかしくないでしょ。酷いねくらいは言っても怒ってる感じ全然なかったりして。言ってる人だって抑制的で、っていうか怒ろうと無理してる感じ。過去のことでは日本人は怒れない。これは美点。無理に変えることはない。過去の事では怒れない日本人でも今行われてる事なら怒れる。過去のことでもまだ済んでないことなら本気で怒れる。拉致問題のように。今現在の問題でないと日本人は煽れない。無理すると逆効果にも成り得る。ご注意を。