判断を任せる人を選ぶのが選挙

日本は議会制民主主義で代議士制であり間接民主制。間接民主制となっているのには色々理由がある。その一つが、普通の人は日々の生活に追われてて政治に直接的に参加する時間と手間が取れないから。
普通の人は時間と手間が取れない為に、大量の資料に目を通す事が難しい。自分で調べる事も難しい。議論に参加して他の人の意見を聞く事も難しい。それ以前に政治に関する専門知識を持ってなくて理解することも難しい。これらが出来ない為にしっかり考えて物事を判断するという事が出来ない。適切な判断が出来ない。(ある程度は出来る。扱う問題を絞ればかなりの事が出来たりもする。しかしそれは特別関心を持ってる場合のみ。普通は出来ない。)

だからそれが出来る人に判断を委ねざるを得ない。この委ねる相手が代議士。自分の代わりに資料に目を通し、調べ、議論し、考えて、判断する事を委ねる相手が代議士。政治の諸問題を判断するのは私達一般庶民でなく代議士。私達一般庶民が判断するのは誰にその判断を任せるか。その判断を票として選挙で示す。それが選挙。選挙で選ぶのは判断を任せる人。政策ではない。
判断の全てを任せたわけではないと多くの人は反発すると思う。では一般の人達に判断出来るのか?出来ない。先に書いた理由により出来ない。出来るわけがない。結局は任せるしかない。反発しようとどうしようと任せるしかない。変えようのない現実。


ちなみに選ばれた代議士は判断を任された者なのであるから、誰に気兼ねする事無く自らが思うところを行えば良い。判断を任されてるのであるから、方針転換が必要だと判断したならその自らの判断に従って判断しても良い。方針転換をしたからといって自らに投票してくれた人を裏切る事にはならない。自らの判断に従って自らが思うところを行う事が代議士の務め。判断を任された者としての努め。自らの判断に従って行動する限り裏切りにはならない。

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理屈としてはこう。でも実際はそうなってない。制度ではなく人の意識がそうなってない。有権者が判断を任せる人を選ぶつもりで選んでない。候補者の側にもその意識が無い。どちらにもそのつもりが無い為に判断を任せられる人かどうかの判断材料が出てこない。現状では判断材料無しの当てずっぽうで選ぶしかない状態。挙げてる政策で選んだりしてるがこれではどんな判断を下す人なのかはわからない。当てずっぽうで選んでるのと同じ。
でも、それでも選挙が判断を任せる人を選ぶものである事に変わりは無い。任せざるを得ない人が選び、選ばれた人は自身の判断で動く。意識していようとしてなかろうと、このことには全然変わりがない。


間接民主制の代議士が判断を任された者であることは変えようがない。変えるべきは人の意識。有権者は判断を任せる人を選ぶつもりで選ぶ。判断を任せる人を選ぶのだから判断を任せられる人かどうかの判断材料を求める。候補者は自分がどんな判断をする人間なのかをアピールする。このように変えていかなければならない。




おまけ: マニフェスト選挙というのはこの真逆。選ばれた者はマニフェスト通りの行動を求められ、後からの判断を加える余地が無い。代議士に判断を任せない事を目的としたものがマニフェスト選挙。理屈通りのマニフェスト選挙であれば。でも実際はマニフェスト通りになんていかない。刻々と変わる社会情勢に影響される政治が事前に決めた計画通りに行くはずがない。結局は代議士が自分で判断する事になる。任せるつもりのない有権者もその代議士の判断に直接的な関与が出来なくて任せるのと同じことになる。真逆のマニフェスト選挙であれ実際は同じ。判断を任せる人を選ぶことになるのが選挙。



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