従軍慰安婦問題:二種類の謝罪

安倍総理河野談話を継承したり謝罪したり、また謝罪を拒否したり。
これを多くの人は変節だとか矛盾だとか捉えてるようです。
しかしこれを変節も矛盾もない整合性の取れた言動と説明出来る見方があるのです。
(ここで何度か書いたことですが、再びそれを書きます。)


私が考えるに、安倍総理河野談話を管理責任について謝罪したものとして扱ってます。「広義の強制性」とはこの管理責任についてのものです。日本軍が強制連行して性奴隷にしたという事実が無いにしても、管理責任としてなら日本には謝る理由があります。守り切れなかったという謝る理由があります。つまりは管理責任を果たせなかったという理由です。監督すべき立場の日本軍が業者を、配下の官憲を管理監督し切れなかったという理由です。安倍総理はこれを認めたのです。だから安倍総理は謝罪を口にしたのです。だから日本軍の強制連行等を無かったと考える安倍総理が躊躇う事無く継承すると言えるのです。安倍総理“管理責任について謝罪した河野談話を継承したのです。



安倍総理河野談話の継承によって認めたのは管理責任を果たせなかった事です。ですから日本軍自らの強制連行等を否定し、強制連行等についての謝罪を拒否しても矛盾にはなりません。強制連行等についての謝罪を拒否しつつ管理責任を果たせなかった事に対して謝る事に矛盾はないのです。


警察と悪質風俗業者と業者に無理やり働かされてる被害者女性を思い浮かべて下さい。警察が被害者女性に守れなくて、あるいは助けられなくて済みませんというのは有りです。この謝罪は有りです。でも警察が被害者女性に無理やり働かせて済みませんという謝罪はありません。無理やり働かせた実行犯は警察ではないのですからこれはありません。これで警察に警察が無理やり働かせたことを認めて謝罪しろなんてのは無茶苦茶です。こんな謝罪要求は拒否するでしょう。でも助けられなかったことについてなら謝りもするでしょう。
安倍総理が謝罪をしたり拒否したりはこういうことなのです。二種類の謝罪があって、その一方の謝罪をし、もう一方の謝罪を拒否してるのです。変節でも矛盾でもありません。

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河野談話を日本軍の管理責任について述べたものだと思って読んでみて下さい。先入観を捨てて読んでみて下さい。狭義の強制性で押し通せなくて広義の強制性(つまりは管理責任)という事にして通した談話ですから管理責任についてのものとして読めるものになってます。むしろ管理責任についてのものとして読んだ方がふさわしいものになってます。その後従軍慰安婦の存在を認めさせようとする者達の手で狭義の強制を認めたものであるかのように喧伝されましたが、河野談話そのものは実のところ狭義の強制を認めたものにはなってないのです。狭義の強制抜きの河野談話は管理責任について謝罪したものなのです。
河野談話を管理責任について謝罪したものとすれば、これまで河野談話を元にした日本の謝罪はどれも管理責任について謝罪したものになります。日本軍の強制連行等を認めた謝罪ではなくなります。日本が日本軍の強制連行等について謝罪したことは無いとなります。これによってこれまでの日本の謝罪に囚われず堂々日本軍による強制連行等を否定出来るようになるのです。日本軍の性奴隷を認めたとされる河野談話と数々の謝罪の意味が覆るのです。




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