粘土細工型と積み木細工型

粘土細工。


粘土の塊を大雑把に整え、あっちをへこましこっちを引き伸ばし、時には大きく全体を曲げたりしながら徐々に形を整えていく。余計な部分を削ったり不足分を付け足したりして細部を詰めて仕上げていく。常に全体を捉えつつ元の形を変えながら仕上げていくのが粘土細工。


積み木細工。


何も無い状態から材料を付け足していく。積み重ねたものに更に積み重ね、徐々に形を作っていく。先に積み重ねた材料の上に更に積み重ねることで細部を作っていく。形の無い状態から足りないものを加えていき仕上げていくのが積み木細工。

これは自身の思想の作り方のたとえです。
思想の組み立て方、煮詰め方、整え方といったものたとえです。


粘土細工型
大雑把で曖昧な思想を元に、その大雑把な思想そのものに手を加え、思想そのものを変えつつ徐々に具体的な思想に整えていく。全体の整合性を随時チェックしながら、様々な角度から全体を見て、全体としての整合性はどうかとチェックしながら手を加えていく。おかしな部分が見つかれば思想そのものに手を加える。細部を煮詰めていく段階で大元の思想のおかしさが見つかれば大元の部分にも手を加えて修正する。思想そのものを修正しつつ全体が整合性を持った一つの塊としての思想を作りあげていく。それが粘土細工型。


積み木細工型
土台となる思想を基準に、パーツとなる考えを取捨選択し、選んだ考えを土台に積み重ねていく。土台と加えた部品を基準とし、次に加える部分的な思想を取捨選択し、先に積み重ねたものの上に更に積み重ね付け加えていく。この繰り返しで思想に厚みを増していく。部品を積み重ねれば積み重ねる程に思想は徐々に明確な形となり、初めは見えない全体像が部品を積み上げることで徐々に具体的なものとして見えてくる。そうして様々な要素を取り入れた重厚な思想というものを作り上げていく。それが積み木細工型。



人権思想が典型的な積み木型。人権思想のベースは「誰もが持つ人間らしく生きる権利」。でもこれだとなんの事かわからない。「人間らしく」って何?ってことになる。だから幸福追求権とか自由権といったより具体的な部品を積み重ねる。しかしこれでもまだよくわからない。「自由」って何?ってことになる。だから自由権に「精神の自由」とか「人身の自由」といったもっと具体的な部品を積み重ねる。これでもまだまだわからない。「精神の自由」って何? で、信教の自由とか思想・良心の自由とか学問の自由とか表現の自由とかいった部品を付け足す。これでもまだまだ。で、国教指定の禁止とか政教分離とか信仰・思想を強要されないとか加える。これでもまだ曖昧なんでこれはダメこれは良いとか加えていく。こうしてどんどん細部を詰めていく。元のものに付け足していくように肉付けして人権思想というを形作っていく。それまでに出来てた人権思想を元に環境権やらの新しい考えを加えたりというように。このようなものが積み木細工型。


粘土細工型は良い例が思い浮かばないのだけど、大抵の人の持つ自分の考えがこれ。誰しも曖昧ながらも自分の考えを持ってる。幼い子供でも何らかの考えは持ってる。その考えが色んな経験を積む事で変わっていく。こうした方が良いとかこれはいけないとかを体験したり見聞きしたりして知って、自身の考えを徐々に変えていく。良いと思ってた事が別方向から見たら悪い事だったと気付いたりもして自分の考えを修正し、修正した新たな考えを自身の考えとする。多くのこういった経験を経て自分の考えを固めていく。元々の自身の考えを変えていくので子供の時の考えとは全然違う考えを持つ事にもなる。若い時の考えと年を取った時の考えが違ってくるという事にもなる。とはいえ年を重ねることで修正すべき部分が減っていくので徐々に変化は少なくなる。最終的にはその人なりの確固たる考えというものを持つようになる。こういうのが粘土細工型。



元のものを修正によって整えていくのが粘土細工型。
元のものに付け加えて構築していくのが積み木細工型。

簡単にいうとこんな感じ。



スミマセン、説明だけで時間切れです。また明日ってことで(^^;ゞ
が、読む人が興味を失わないように次に書くことを少しだけ書いておきます。サヨは積み木細工型です。右派にもいます。左右に関わらず知識人といわれる人にこの型が多い。また、政治論争盛んにやってる人もこうなり勝ち。左右に関わらず。この考え方をしてる人はおかしな考えになり、それを正す事が出来なくなりします。積み木細工型は致命的な欠陥のある思想の作り方なのです。多くの問題の根本原因がここにあります。



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