積み木細工型の問題点

粘土細工型と積み木細工型の違いは、それまでに出来てるものを後から変更出来るかどうか。


粘土細工型は元々の思想がどんどん変わっていくのだけど、積み木細工型は既に作った思想は変わらない。いつまでもそのまま。作ってしまえばもうそこを見直すということがない。それを絶対のものとしてしまう。その絶対的な思想に合う理屈をその上に積み重ねていくから、尚更元の思想は動かせない。動かしたらその上に積んだ理屈までが壊れてしまう。いささかも動かせない。だから絶対的となる。

元の部分に歪みが見つかると、その歪みを補う理屈を加えて思想を修正する。歪んでるものを整える為の理屈だから、新たに加える理屈も逆方向に歪んでたりする。ともかくそれで修正されたわけだから、元の部分の歪みも新たに加えた理屈も正しい思想・理屈ということになる。相互に補ってるのでどちらも変えるわけにいかない。どちらも正しいものとして絶対的なものとなる。歪みが土台の部分にあって、それを基礎とした理屈を沢山積み重ねた後でその歪みに気付いたりしたら大変。沢山の歪んだ理屈を積み重ねて、その歪みが歪みでなくなるように修正していかなければならなくなる。積み木細工型ではそれを行う。土台は最後までそのまま残るので、そういった修正をして正しいものという事にしないとならない。でないと間違った思想ということになってしまう。だから沢山の歪んだ理屈を積み重ねて正しくしないわけにいかなくなる。



土台が完全であれば問題無いし、積み重ねる理屈も間違いのないものであれば問題ないが、人間は必ず間違う。土台は最初に作るもので人がまだまだ未熟な時に作ったもの。だからそこには沢山の歪みがある。その歪みをそのままにして、積み重ねる理屈で辻褄の合うものにしようというのだから問題が山ほど出てくる。土台も歪んでるし積み重ねる理屈も歪んでる。全体としては一見整ってるように見えても部分部分でみればどこもかしこも歪んでる。
元が歪んでるから歪んでない真っ当な理論は受け入れられない。下手に真っ当な理論など入れると元の歪みが露になる。よって正しい理屈は受け入れられない。一見正しく見えるだけに全てが歪んでるのが積み木細工型で作られた思想。

頭が良いと辻褄合わせを上手くやってしまうので、全てが歪んでるなんてことになる。学者・知識人・高学歴者等がこういうことになる。積み木細工型の場合はむしろ理論的思考が苦手な人の方がいい。元の歪みとの整合性の無さを気にせず正しい理屈も取り入れるので、言ってる事は矛盾してたりするが部分的には正しかったりもする。
そもそも積み木細工型は、明確に確定した理屈の積み重ねで構成するものなので、理屈を明確に確定出来ない理論的思考が苦手な者は自分で組み立てることが出来ない。なので教えられた理屈をそのまま取り入れて作り上げる。でも理屈に弱いのだから、教えられたとしても取り入れることもままならない。足りない部分は曖昧なものを曖昧なままで扱う粘土細工型で作り上げる。粘土細工型の部分は経験で修正していくから序々に正しいものになっていく。教えられた理屈以外は結構正しいということになる。なまじ理論的思考に強い者よりまともな考えを持ってるということにもなる。だから頭の悪いサヨは結構まともだったりする。(馬鹿過ぎれば違う意味で駄目だけど) 逆に頭の良いサヨは言う事の全てがどうしようもないものとなる。



間違いに間違いを重ねて辻褄合わせをしていくのが積み木細工型の思想の作り方。
間違いそのものを修正して間違いを無くしていくのが粘土細工型の思想の作り方。

人は絶対に間違いを犯す。正しいと思ってたものが間違いだったりする。
その間違いそのものを後から正せない積み木細工型では必ずおかしな思想になる。
いつでも修正が出来る粘土細工型で思想は作らねばならない。
物事は粘土細工型で考えなければならない。



という事です。皆さん色々思い当たることがあるのではないかと思います。
粘土細工型と積み木細工型は私が適当に作ったものですが、
言われてみればそうだなと思ってもらえるのではないかと思っております。
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ついでにいうと粘土細工型はシンプル。積み木細工型は込み入って複雑。
複雑で難解な思想を有難がってると積み木細工型の歪んだ思想にはまり込む。