「自分で考える」の落とし穴

今盛んに言われてる「自分で考える」が人の話を聞かない人を作り出してることに気付きました。その構図はこうです。


自分で考える→自分で考えるから人の話は聞く必要が無い→人の話を聞かない


自分で考える→人がどう考えてようと自分はこう考える(人は人、自分は自分)→人の話を聞かない


ここには自分が間違えてるかもしれないという自分に対する警戒心が無い。
人の話を聞くことで自分を高めるという意識が無い。



イメージとしては出来てるけどまだ文章に出来る程まとまってないのでとりあえずこれだけ。
「自分で考える」は私自身も人に求めて来ました。主に嘘に惑わされないようにと考えて「自分で考える」を求めて来ました。しかし無闇に自分で考える事を求めるのは不味いのではないかと今は感じてます。自分で考える事は基本的には良い事で必要な事だと思います。でもそこには落とし穴もある。単に「自分で考える」だけを求めるのは不味い。そう感じてます。



改めて「自分で考える」を考え直してみたいと思います。
そして自分で考えるようになればいいと考えてた私自身の考えを修正します。
私は粘土細工型で考えてます。粘土細工型で考える者にとって自身の考えの修正は喜びです。