非難の仕方を考えて

まずは自覚を。
私達戦後生まれは左寄りの教育を受け、左寄りのマスメディアの中で生きてきています。右に目覚めた時にはもう思春期は越えていたでしょう。それは意識するしないに関わらずサヨ的な考え方が身についてしまってるということです。自分自身の中にサヨ的な考え方、価値観が身についてしまってるということです。ですのでサヨがやる間違いを右を自負する人達もやってしまいます。右であろうとそれをやってしまうのだとまずは自覚して下さい。



そしてそれがもっとも端的に現れるのが誰かを非難する時です。多くの人が非難を容赦なくやってしまいます。そして完全な修正を求めようとします。そしてその要求に即座に応えられないとその人の全人格を否定するかのような容赦の無い非難をします。これは理想主義、自己中心主義のサヨ的な非難の仕方です。


容赦の無い非難
現実には出来ることと出来ないことがあります。当人がやりたいと思いやろうとしたとしても諸事情で出来ないということがあります。当人の責任ではないところの理由で出来ないということもあります。またやろうと懸命に頑張ったけどそれでも出来ないという場合もあります。そういうものを一切無視してやらないといって非難する。非難される方はどんなに非難されようとどうにも出来ません。それでも構わず非難する。やらないという一点だけを捕らえて容赦なく非難する。このような容赦の無い非難は理想主義的な考え方から来てます。現実の事情を無視しての、やって当たり前、出来て当たり前、という理想主義的な考え方から来てます。

完全な修正を求めるというのもそうです。
やって当たり前、出来て当たり前。現実の事情を無視して。理想主義的な考え方です。
またこれは自己中心主義でもあります。
自身の考える「どうすればいいか」を絶対的な答えだと思ってるから
自分の望む通りの完全な修正を求めるのです。自身の考える「どうすればいいか」が客観的に見ての完全な修正だとは限りません。それはそれで間違ってるかもしれません。でも容赦ない非難をする人はこれを間違ってると思わない。当然に絶対的に正しいものだと思ってる。だから一点の曇りも無い容赦ない非難と一切の妥協のない絶対的な要求をする。これは自己中心主義のサヨ的な考え方です。


非難が全人格の否定にまでいってしまうのも理想主義的な考え方が根底にあります。
人は良いところもあれば悪いところもあります。誰でもです。
ですので部分的に悪くてもそれで全人格を否定してしまうのは行き過ぎです。
それをやってしまうのは全ての面で良いという理想を当然と考えてるからです。無意識の内に当然と考えてるからです。これは理想主義的な考え方です。現実に即さない間違った考えです



このような非難は良い結果を生みません。
いくら非難しても非難された方は正しません(やろうにも出来ませんので)し、要求が間違ってたりするから受け入れられもしませんし。非難する側は果てしなく非難し不満を高めることになるし、その非難を理不尽と感じる非難される側も不満を高めますし、非難してる側を逆に非難したくもなりますし。その内罵り合いが始まるでしょう。そして和解することもない。いい事一つもありません。


戦後教育を受け、左寄りのマスメディアのそのような非難を見続けて生きてきた私達にはこのような非難の仕方が身についてしまってます。自身の言動を、特にネットでの言動を振り返りこのような非難を自分がしてないかどうか思い返してみて下さい。多くの人がやってしまってることに気付くのではないでしょうか。



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このような非難の仕方の最大の問題は互いに非難し合うようになり協力が出来なくなることです。国民が力を合わせる事が出来なくなることです。組織を作っても内部で非難合戦が始まり分裂してしまうことです。私達はこのような非難の仕方を改めなければなりません。非難を、修正要求を、理想主義的な考え方でなく現実の事情を考慮した正すことが可能な範囲で行うように。無闇やたらと思ったままの要求を突きつけるのでなく、その要求が利にかなったものかどうかの検討を自身で、或いは周囲と協議して求めるように。これをしないと国民の力の結集は不可能です。




かつての左翼はやたらと同志に厳しく結果内ゲバで潰し合いました。
逆に今のサヨは同じサヨに対してはやたらと甘いです。大筋で同じだと少々の意見の違いなど見て見ぬ振りで馴れ合います。個々には結構バラバラな彼らが協力しあえるのはこの為です。
そして今のウヨ、大甘馴れ合いで出鱈目なサヨのアンチだからかなり内輪に対して厳しくなってます。また追い詰められてるというあせりがあるから余計に厳しくなってます。内ゲバを起こしそうなくらいに厳しいのではと感じてます。今は力を結集しなければならない時です。身内に大甘な今のサヨを真似ろという気はありませんが、もう少し考えの違いに寛大になる必要があるのではないでしょうか。非難の仕方を考え、少々の違いは時間を掛けて埋めるということで後回しとし、協力し合うことを考えて欲しいと思います。




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