非難でなく注意を、罵倒でなく説明を。

非難でなく注意を、罵倒でなく説明を。
求めるのは謝罪でなく理解。そして絶交でなく仲直りを。


友達が何かいけないことをしてました。
本人あまり悪い事だと思ってないようです。
でもその事でその友達は周囲から悪く言われてます。
自分もその行為は良くないと思う。止めさせたい。


こういう時にやるのは非難ではなく注意でしょ。
その注意も凄く気を使ってやるでしょ。友達関係壊さない為に。
ものによっては本気で怒って止めろって言ったりもするでしょうが、
それでも「非難」でなく「注意」でしょ。


でその後にやるのは何故それがいけない事なのかの説明でしょう。
やってはいけないということをわかってもらう為の。糾弾の為ではなく。


とはいえ相手にも言い分があります。普通はそれを聞きますよね。
聞いた上で、その相手の言い分に対して「でもね」って重ねて説明しますよね。


注意されるってのは気持ちのいいものではないし、反発したくもなるものですから感情的になって言い返してきたりもします。その時にやるのは感情的にやり返すことでなくなだめることでしょう。どうすれば聞いてもらえるかを考えてなだめて諭す。これでしょう。目的はわかってもらことなんですから。別に喧嘩がしたいわけではないのですから。



で、「謝罪」ですが、こんな場合求めますか?
それで迷惑掛けられてたとしても求めるのはまずはわかってもらうことでしょう。そしてわかってくれたならそれで満足でしょ。別に謝罪までしてくれなくても構わないでしょ。「わかってくれればいいさ」で終わらせるでしょ。最後まで謝罪なんか求めないはずです。



れが普通じゃない? ネットでもこの普通のことやりましょうよ、皆さん。
そりゃいくら言っても全然聞いてくれなくて反発ばかりしてくるとなれば非難になって罵倒になって絶交だ!ってことにもなるでしょうけど、それはわかってもらおうと努力した後の話。今は多くの人がわかってもらおうとする努力抜きでいきなり非難と罵倒を始めてるように思います。これでわかってもらえると思います? 怒らせて頑なにさせるだけだって思いませんか?


これを読んだ人は相手に拠るって言い返してくるだろうけど、どんな相手だってとりあえずはその努力をしましょうよ。果てしなくわかってもらう努力をしろとは言いませんけどね、でもまずはその努力でしょ。



今の揉め事の原因は訴え方の不味さに尽きると思います。注意の仕方の不味さ、非難の仕方の不味さ。これに尽きると思います。
その次の問題として、その注意や非難の受け取り方の不味さ。受け取り方つーか拒絶ですけどね。わかってもらう為の注意をやった上でならこの拒絶の非難も出来るけど、それ以前に注意の仕方・非難の仕方の不味さがあるので私としてはこれを責める気になりません。


ともかく皆さんには、相手でなく自分の方を変えて事を収めることを目指してもらいたい。相手は変えられなくても自分は自分が変えようと思えば変えられます。自分を変えるというのはやろうと思えば出来ることです。その出来ることである自分の方を変えることで、事を収めることを目指してもらいたい。そう思います。

ここで変えろと言ってるのは意見や主張ではありません。訴え方です。意見や主張ならともかく自分の訴え方に絶対の自信を持ってる人なんていないでしょ。アーチストの自己表現とは違うのですから。絶対変えないと拘る程のものではないはずです。今とは違う、今より良いやり方を工夫して今とは変えて、対立でなく協力し合える形で収めることを目指して欲しいと思います。

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会話の密度を濃く出来ないネットで本当にわかってもらおうとしたら数ヶ月とか半年とか掛かります。そう簡単にはわかっちゃくれません。でも時間を掛ければわかってくれる人はわかってくれます。一言二言でわかってくれないと切り捨ててたら誰にもわかってはもらえません。


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