和を尊ぶ故に和を乱す者には厳しく

日本の和の文化には和を乱す者に対する対策もちゃんとあります。
和を乱す者がのさばることが出来ない仕組みがあるから和を保つことも出来てたのです。


謝罪は揉め事を収める知恵の一つです。この謝罪は赦すこととセットで揉め事を収める知恵として成り立ちます。謝罪を受けた方は赦さなければならないわけです。ここまでがセットで揉め事を収める知恵です。ですので謝罪を受けたのに赦さないというのはそれだけで非難の対象となる行為となります。「赦してやれ」と周り中から非難の集中攻撃を受けることになるのです。「やりすぎだ」「いい加減にしろ」と。この段階での悪い者は赦さない者です。始めに何かして謝罪した者はもう赦されており、赦さない者が非難に値する悪い者として扱われます。悪い者として集中攻撃を受けます。
謝罪を受け入れて赦せば周りから赦されます。


謝ったのに赦さず追い討ちを掛ける行為となるとこれはもう悪事と認識されます。
それ自体悪事で、嫌悪され非難を浴びる行為です。
それを行う者は悪人として扱われます。
激しい非難・罵倒を浴びせる対象となります。
嫌悪と蔑みの目で見る対象となります。
信用出来ない人間として扱われ、仲間外れになります。

被害者だからと赦されることはありません。


追い討ち自体が悪事ですからもう謝罪を受け入れたとしても赦されません。謝罪した相手に逆に謝罪しなければ赦されません。自分の罪を認め謝罪した相手に自分の追い討ちという悪事を謝罪すれば赦されます。


謝罪しなければ赦されずそのままです。嫌悪と蔑みの目で見られ続け、信用出来ない人間として仲間外れにされ続けます。村八分の状態に置かれます。
諭すとか説得といった態度を改めさせようとする行為はこの仲間外れにした状態のままで行われます。今何故自分がそういう状態に置かれてるか、どうすればその状態から抜けられるのかで話をします。今が嫌なら態度を改めろというわけです。態度を改めるまで赦しはありません。蔑みの目で見られ仲間外れにされたままです。



これが謝罪を受け入れ追い討ちを控えねば損となる仕組みです。
これらが一まとめで和を保つ仕組みです。


和を乱す行為の許容は和の精神にはありません。
謝罪だけ抜き出して「和の精神」と捉えるのは間違いです。
赦すことだけ抜き出して「和の精神」と捉えるのも間違いです。
和を尊ぶのであれば和を乱す者をそなまま赦しててはいけません。
和を乱す行為の否定こそが「和の精神」です。


激しい非難・罵倒、嫌悪と蔑みの目、仲間外れ。
和を保つ為に和を乱す者に対してのこれらは必須のものです。
和を乱す者が皆無とならない以上これらは和を保つ為に必須のものです。


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和を保とうとする者と和を乱す者との扱いをまったく別のものにして、和を乱す者をとことん虐げる。容赦なく虐げる。簡単にいえばこれが和を保つ仕組みです。和の精神にはやさしさばかりでなく非情な厳しさもあるのです。厳しさ抜きで和の精神など成り立ちません。和の精神を尊ぼうとするなら和の精神の厳しさを取り戻さねばなりません。



和の精神の根底にあるのは和を乱す行為への怒りです。
和を乱す行為への怒りをはばかる必要はありません。



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