人は問題がある故に生きられる

人生の意味は問題の解決に挑むところにあるのではないかと私は考えてる。挑む問題は様々。子供にでも挑めるちょっとした問題から考え得る最高の力を手に入れて初めて挑めるような途轍もなく困難な問題まで様々。

「問題の解決」でなく「問題の解決に“挑む”」としてるところに注意して欲しい。人生の意味として考える時に意味があるのは解決でなく挑むこと。
解決はしなくてもいい。挑めればそれでいい。本気になって挑めればそれでいい。挑んでる間は喜びがある。怒りも悲しみもある。また、挑んでる故の退屈ではない心休まる一時がある。これら全てが生の楽しみ。(これは客観的視点からの表記。挑んでる当人は本気で解決する気でなくてはならない。それでなくては本気で挑んでることにならない。)


挑んでなければ喜びはない。怒りも悲しみもない。あるのは諦めだけ。挑んでない故に有り余る時間は苦痛な退屈でしかない。遊んでても虚しさばかり。楽しみを感じることが出来ず、生きてる意味を見出せず死にたくなりもする。死にたくなって、死ぬことしか考えられなくなって、ついには自殺してしまったりもする。生きる意義を見出せないという理由で自殺する。


挑む問題がないことに人は耐えられない。故に誰もが挑む問題を探す。そして挑む。挑んで解決したら次の挑む問題を探す。人は解決の瞬間は喜びに満たされるがすぐその後に喪失感を感じる。だからすぐに次に本気になって挑める問題を探す。見つかればそれに嬉々として挑む。見つからねば懸命に次の本気になって挑める問題を探す。探し続ける。本気になって挑める問題を探すことに挑む。人はそのように行動する。問題に挑むことこそ人の最高の喜び。




「本気になって挑める問題」
その問題は本気になって挑める問題でなければならない。
どう足掻いても解決出来そうにない問題では本気にはなれない。
自分の能力では解決出来そうにない問題も本気になれない。諦めが先に立つ。
どう手を付けていいかわからない問題にも本気になれない。というか手が出せない。
簡単過ぎても本気にはなれない。挑んでもすぐ解決するし。
自身の能力に照らして適度に困難で、どうすればいいかがある程度わかってる問題。
これが「本気になって挑める問題」。
これこそが人が生きる為に必要なもの。



・・・・・

以下は少々宗教じみてくるがお付き合いを。

人には本気になって挑める問題が必要。
この「人」は様々。
超がつく程の金持ちから無一文の貧乏人まで。
天才から秀才から勉強からっきしの馬鹿まで。
スポーツエリートから身体に重度の障害を負う者まで。
赤ん坊から幼児、子供、青年、壮年、老年と一人の人間でも様々。
貧乏人が一発当てて大金持ちになったり勉強や訓練で能力が高まったりもする。
生きてるこれら全ての人に「本気になって挑める問題」が必要。
それ故に世界には様々な問題があるのではなかと感じてる。
私はここに神を感じてる。
どんなに金持ちになろうとどんなに権力を持とうとどんなに高い能力を持ってようと容易には解決出来ない非常に難しい「本気になって挑める問題」を神は用意してくれてる。全ての問題が解決して途方にくれてしまうということが決して無いように。またどんなに貧乏でもどんなに能力が低くても挑もうという気にさせるそこそこの難しさの「本気になって挑める問題」も用意してくれてる。そういった様々な人に向けての様々な問題で神はこの世界を満たしてくれている。そう感じてる。

であればこの世の様々な問題は神の恵み。
私はそう考えてる。結構本気でそう考えてる。


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