「空気を読む」

今回のエントリーは「外交と安全保障をクロフネが考えてみた。」「KなんてYめなくていい。」に触発されてのものです。クロフネさんは「空気が読めない」の“空気”をその場の支配的な考え、或いは相手の考えだと考えて先のエントリーを書いてます。クロフネさんの前提は「空気を読む」とはその場の考えを読むことで、「空気を読め」とはその考えろに合わせろということ。これがクロフネさんの前提。そして、考えを合わせてたのでは自己主張出来ない、合わせるなという意味で「KなんてYめなくていい。」と主張してます。クロフネさんの考えはそれぞれが氏のブログから読み取って下さい。違ってはいないとは思ってますが)
「空気を読め」が「考えろに合わせろ」という意味であればそうだろうとは思います。しかし「空気を読め」の意味を「考えろに合わせろ」だとは思ってない私はこれに異議を唱えたいと思います。私は日本の「空気を読む」を和の文化を成立させる重要な要素と考え、日本の良さだと思い、更には国際社会を生き抜いていく上での日本の武器ともなるものと考えてますので「空気を読む」を否定する「KなんてYめなくていい。」には強く異議を唱えたいと思います。どこがどう良くて、それがどう武器になるのかはまた後ほど。



クロフネさんの理解する「空気を読む」とはその場の考えを読むことですが、
私の理解している「空気を読む」とはその場の雰囲気を掴むことです。
皆がどんなことをどんなやり方でやってる場なのかを掴むことです。


具体的には
楽しくワイワイある話題で盛り上がってるとか、
マッタリと他愛の無いおしゃべりしてるとか、
真面目な問題を真面目に議論してるとか、
真面目な問題を多少の冗談も交えて堅苦しくなく話してるとか、
真面目な問題を単なる話のネタとして世間話程度に話してるとか、
真面目な問題を冗談っぽく言いつつも実は真剣に考えて議論してるとか、
罵倒も混ぜて喧嘩腰で議論というか言い合いをしてるとか罵倒合戦してるとか。
で、その罵倒合戦が本気なのか冗談半分なのか、冗談ぽくても実は本気なのかとか、
元々の問題はどうでもよくて、罵倒合戦に勝つことを目的としてやりあってるのかとか、
真面目とおふざけが混在してて時たま気を抜きつつも結構真面目にやってるとか、
単に互いに自分勝手に自分の考えをわめき合ってるだけなのかとか、、、


こういうことを掴む。
そして空気を読んで私がやるのは、その場にあった話題をその場にあった話し方ですること。


真面目な場なら真面目な口調で。
堅苦しくなく話してるなら砕けた口調で。
世間話程度なら込み入ったことを細々と話すことは避けて大雑把に。
砕けた口調を交えつつ中身は真面目に深く細かくとか。
バカとかアホとか言いつつ挑戦的に挑んだり、嘲笑ったり、
茶化したり、嫌味なんかもいれてみたり、
元々の問題そっちのけで相手への攻撃に専念したり等々、
その場にあったことをあったやり方でやること。
これが私の理解してる「空気を読む」。
ちなみに話し方は変えても考えは変えません。同じ内容を違う言い方するだけです。私は荒い書き方もしますしクソ真面目な書き方もしますし、大雑把に書いたり事細かにしつこいくらいに書いたりもしますが、どちらの書き方をする時も考えは同じです。場や相手に合わせて書き方変えてるだけです。



楽しくワイワイ盛り上がってる場を暗くするようなことを言ったり、
マッタリと他愛の無いおしゃべりしてる場で小難しいことを気を昂ぶらせて主張してみたり、
真面目に議論してる場にオチャケた態度で割り込んで議論邪魔したり、
冗談交えて話してる場でその冗談に不真面目だ!と怒ったり、
罵倒合戦してるところに真面目くさって「悪口を言ってはいけません」と注意入れたり、、、
こういうのをみると「空気読めよ」って言いたくなる。
こういうのを私は「空気が読めない」だと解釈してる。
そして「空気を読め」といった時に私が求めるのはやり方(話題選定とか話し方とか)をその場に合ったものにすること。
これが私にとっての前提。
場の空気を変える為にワザと合わないやり方することもあります。そのやり方で粘れば空気が変わりますから。確信犯なんで「空気を読め」と言われても屁とも思いませんがw



どちらの「空気を読む」が、自分の理解している「空気を読む」かを考えてみて下さい。
とりあえずここまで。まだ続きますがとりあえず。