確立してないから構築する

■基準が外にある故に独りよがりでない価値観や哲学を構築する。

>”空気を読む能力を重要視する社会”においては、善悪などの判断基準を、価値観や哲学として自分の内面に構築するというよりは、社会が作り出した空気(=マニュアル)、つまり他者に任せてしまいがちになる。

これに対して他者に任せがちでいいんだという事と、それ故にこそ独自の価値観や哲学といった善悪などの判断基準を自分の内面に構築するんだ言といたくて書いてます。「空気を読む」のは良いことなのだと言いたくて書いてます。


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◆内にある判断基準と外にある判断基準。
『再構築』の場合は外部の基準を自己に取り込んで、自身の中に基準を構築する。以後判断はこの基準を使って行うことになる。自分の中にあるわけだからどこに行ってもこれが使える。これを使う。『再構築』の元となった基準を持つ社会から出て異なる基準の社会に行ったとしても自身の中の『再構築』された基準で物事を判断する。『再構築』を行う人はどこにいようと常に内にある判断基準で物事を判断するわけである。これが確固たる価値観や哲学を持っていると見える理由。持ってるといえば持っているのだけど元は受け売り。『再構築』とは要するにある特定の価値観のコピー。それも大抵は劣化コピー哲学的考察を経ての価値観や哲学を持っているわけではない


一方『空気を読む』の場合は外部の基準をそのまま使う。取り込んでの再構築ということはしない。どこに行こうとその場ごとの基準を使う。外の基準を使うから当人の中に基準があるのかどうか傍からはわからない。自身の基準を使わずどこにでも合わせるとなると、無いのだろうなと人から思われる。確固たる判断基準を持たず、他人任せでいい加減だと思われる。自身の中に判断基準を持ってないと思われる。


では本当に無いのか?
そんなわけがない。考える頭と感じる心を持った一個の人間が自身の基準を持たずに済ませられるわけがない。その証拠に誰にも感情がある。喜怒哀楽がある。喜なのか怒なのかは個々人で判断してる。さすがにこれを外部の価値観に合わせることなんて出来ない。表面上合わせてる振りは出来ても心の底から合わせるなんてことは出来ない。だからしばしばそのギャップに悩むなんてことも起こる。誰であれ自身の中に判断基準を持っているのは間違いない


持ってないと思われてしまうというだけで実際には基準を持ってる。ではその基準は確固たるものなのか、確立したものなのかと言えば、してない。曖昧。度々判断に迷うし、どうにも判断出来ないなんてこともしばしば。間違うこともある。違ってたと後から気付くこともある。でもって基準を修正したりもする。時には大幅に変えたりなんてことも。その程度の基準。基準とするには問題の多いあやふやな基準。でもこれでも問題は起こらない。使うのは外部の基準で内部の曖昧な基準は使わないから。内心では使ってたりもするのだけど表面的に使うのは外部の基準。対外的には問題は起こらない。奇人変人と見られずに普通に生きていける。



◆確立した基準・してない基準
曖昧で確立してない基準。
こう書くとなんだか悪いよう。駄目みたいに思える。けどよく考えればこれが自然。神ならざる人間が正しい確固たる基準なんか持てるわけがない。曖昧で当然。迷うことがあって当然。間違うことがあって当然。間違いを正すとなると修正だって必要になる。どれも当然でちっとも悪くない。
むしろ確立した基準の方に問題がある。神ならざる人間の考える基準に間違いがないわけがない。よって間違いを含んだままで確立してしまってるのは間違いない。しかし確立してしまってるのでその間違いが正されることがない。
それ以前に間違えてないかどうかの検証が行われない。間違いが何時までも気付かれもせず正されもせずそのままということになる。そしてそれを当人は「正しい」と思い込み続けるということになる。これが多くの問題を引き起こす。が、これはテーマでないので置いといて、ともかく受ける印象とは違って確立した基準を持ってる方が悪かったりする。また、見直したり正したりすることなく確立した基準をそのまま使い続けるので確立した基準を作ってしまう『再構築』を行うともう『構築』は余程のことが無い限り出来ないということにもなる。

一方曖昧で確立してない基準を持つ者は、ギャップに悩み判断に迷い基準を修正したり作り変えたりする。これは『構築』の過程そのもの。よって「基準が曖昧で確立していない故に価値観や哲学を構築する。」ということになる。基準が曖昧で確立していないのは『再構築』をしないからで、『再構築』をしないのはその場その場の外の基準をそのまま使うから。よって「基準が外にある故に価値観や哲学を構築する。」となる。


でもテーマは
「基準が外にある故に独りよがりでない価値観や哲学を構築する。」
まだ“独りよがりでない”が残ってます。これを次にやります。(続く)


 

空気を読む文化の日本人は自身の内面にある基準は曖昧なものしか持ってません。だから悩む、考える。自分さがしなんてことをしたりもします。そしてもっと曖昧でない価値観や哲学を構築しようとします。個々人が。これが多彩な日本文化を生み出す源ではないかと私は思ってます。でもだから空気を読む文化が良いとは言いいません。良いのは良いのだけどそれはおまけみたいなものです。私の考えるその良さはもっと別のところにあります。
ムチャクチャ長くなってますが最終的には日本の良さを再認識してもらえるものになりますので辛抱して読んで下さい。日本の良さを知って日本の文化を守ろうという気持ちを強くして欲しいと思って書いてます。



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