感性は大事

私は感性をフル動員して考えてる。
理屈でも理論でも言葉でもなく感性で考えてる。
正確には捉えようとしてる。
そこで捉えたことを人に伝える為に理屈にしてる。
捉えるまでは理屈になってないし言葉にもなってない。
まったく表現のしようのないイメージといえるものすらない。
捉えてもその段階ではひとかたまりのイメージ。
やはり理屈になってないし言葉にもなってない。
捉えた後でその捉えたものを観察し解きほぐして分析して理屈にしてる。
説明する為に理屈にして言葉にしてる。


理屈は感性で捉えたものを理論立てて組み立てたもの。
世にある理屈や理論はどれも誰かが感性で捉えたもの。
理論を学ぶことはその誰かの感性を自身のものとすること。
感性で捉えることが出来て初めてわかったということになる。
感性抜きで理論の理解はない。バカの壁は感性の限界。

私の感性は理屈や理論をそういうものとして捉えてる。
だから私は理屈や理論とはそういうものだと考えてる。
そして感性で理解してもらう為に理屈で語ってる。


読む人には、理屈からその理屈の大元の感性を捉えるつもりで読んで欲しいと思う。


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