モラル社会を取り戻せ

佐々木俊尚の「ITジャーナル」
モラル社会を取り戻せ?
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/a2b680095375effb47aeb8eb3cec6404


私が考える正義は「和」
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20070816/1187201417


上記の二つは日本の社会の同じ特徴を捉えて書いてる。
同じところを捉えてるがその見方は全然違う。

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佐々木俊尚の「ITジャーナル」
モラル社会を取り戻せ?    より引用

山岸氏の実験は、日本人がもともと古来から持っていた素晴らしい「モラル」なるものは、実のところ単なる「相互監視と相互規制のしくみ」によって成り立っていた空虚なものでしかなかったことを、鮮やかに浮き彫りにしている。


sadatajp
その通り。日本のモラルというか社会秩序は相互監視と相互規制のしくみによって成り立ってる。でもこれは空虚なものではない。この仕組みは人を律する仕組みとしての強い力を持ってる。そして個々が独善に陥らない安全弁ともなってる。他の者から学ぶことを促す仕組みでもある。非常に優れた仕組みだと私は考えてる。


「相互監視と相互規制」と聞くと独裁国家の締め付けを思い浮かべる人が多いと思うが、日本のそれは独裁国家のものとはまったく違う。何が違うかと言えば、こうでなければならないと決める特定の人間がいない。独裁者がいない。多くの者が同じようにこうであるべきとなった時にそれが社会の暗黙のルールとなって、その基準で「相互監視と相互規制」がなされる。大多数の支持する基準が「相互監視と相互規制」の基準であり特定の者が基準を決める独裁国家のそれとはまったく違う。大勢の人間の総意(傾向)で決まる基準なのでこの基準は確定していない。人々の考えが変わっていけばこの基準も変わっていく。そうして常に大多数が同意出来る基準が「相互監視と相互規制」の基準になる。


この基準からはみ出す者がいたとして、
その者が多くの者から支持されれば「相互監視と相互規制」の基準がはみ出した者の基準に変わっていき、それが新たな基準になる。逆にその者が支持を得られなければ「相互監視と相互規制」の基準で叩かれることになる。「足を引っ張る」「出る杭は打たれる」ということになる。しかし支持を得れば皆はそれに倣い、そのはみ出し者は先駆者として称えられる。日本の「相互監視と相互規制」はそのように作用する。


支持する大勢は、支持する基準に合致してるかを問われる「相互監視と相互規制」を苦にしない。「相互監視と相互規制」されるまでもなくやるのだから苦にならない。「相互監視と相互規制」されるまでもなくやるのだから見られてないところでだってやってる。この大勢にとっては「相互監視と相互規制」なんてあってもなくても大して変わらない。気にならない。


支持を得られたはみ出し者もこれを苦にしない。「相互監視と相互規制」されるまでもなく元々自分でやってるのだから苦にしない。「相互監視と相互規制」されるまでもなく自らやってるのだから見られてないところでだってやってる。「相互監視と相互規制」なんてあってもなくても大して変わらない。気にならない。
むしろ皆の支持が実感出来て有難かったりもする。


苦にするのは支持を得られないはみ出し者。
思い通りに行動すると基準に合わないと叩かれる。
自身の基準に合わない世間の基準に合わせるのは窮屈。
合わせることを求める「相互監視と相互規制」は堪らなく嫌なもの。
日本型の「相互監視と相互規制」を苦痛に感じ、
悪いものと感じるのはこのはみ出し者。


日本型の「相互監視と相互規制」を悪く言ってるのはこの者達。
多くの人々に受け入れてもらえないはみ出し者。嫌われ者。


この多くの人々に受け入れてもらえないはみ出し者に言う。
皆から受け入れてもらえない嫌われるような基準持ってるから日本型の「相互監視と相互規制」が悪いものだと思ってしまうんだよ。世間の方が変われなんてのは独善。その前に自身を振り返れ。支持が得られなきゃ自分の基準を疑え。
自分が間違ってないかどうか自らを振り返れ。支持してくれない大勢を見て自分の何がいけないのか考えろ。
自分の基準の方が良いと思うなら世間に訴えて支持を集めろ。いつかわかってくれると信じて訴えろ。「相互監視と相互規制」にケチつけんな。



ちなみに私もたぶんはみ出し者。でもいつかわかってもらえるんじゃないかな〜と罵声浴びたりしながらも訴えてる。訴えるには相手に聞いて(見て)もらう必要があり、罵声を伴いつつであっても監視はぜひされたい。



本当に辛いのは無視・無関心。相互監視が本当になくなったら皆自分を見てくれと関心引こうとしだすと思うぞ、きっと。見てもらえないってのは孤独だからね。絶えられる人間そうはいないよ。


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