わからない方が悪い

わからないのはわからない側の問題。
わかってる者とわからない者ではわかってる者が絶対的に上。
わからない者は謙虚にならねばならない。


例えばヘビーメタル
ヘビーメタルなんてギャンギャンうるさいばかりでどこがいいのかわからないという人というのはヘビーメタルを好きな人が感じてるヘビーメタルの魅力を捉えられない人。わからない人はそこに存在する魅力を感じとる力が無いか劣ってる人。魅力を感じ取れてるヘビーメタル好きな人が上。魅力を感じ取る力を持ったヘビーメタル好きな人が上。


ヘビーメタルを別のものに置き換えても同じ。
詩吟なんて陰気くさくてどこがいいのかわからないという人というのは
詩吟を好きな人が感じてる詩吟の魅力を捉えられない人。
わからない人はそこに存在する魅力を感じとる力が無いか劣ってる人。
魅力を感じ取れてる詩吟好きな人が上。
魅力を感じ取る力を持った詩吟好きな人が上。



ヘビーメタルの魅力をわかってる者が、魅力のわからない者にいくらその魅力を伝えようとしても、魅力を捉えられない者にそれが伝わることはない。なんたって捉える力がないのだから。詩吟に入れ替えても同じ。捉える力のない者はどんな説明されても捉えられない。わからないものがわからないのは、わからない者にわかるだけの力がないから。



さて、

「何を言ってるかわからない」
「言ってる意味がわからない」
「何故そうなるのかわからない」
「何故そう思うのかわからない」
このようなことを相手がおかしいと言いたくて言ってる人がいるが、問題はわからない方にある。理解する力がないという問題がこれらの言葉を発する側にある。わからないならわかるように、わかってない側が努力する必要がある。自分でわかろうとする努力もせずに「わかるように説明しろ」なんて無茶な要求。「わかるように説明出来ない」といって非難するなんて大間違い。わからない者はわからない自分を恥じ、わかろうとする努力をすべき。自分のわかってないことをわかってる相手から謙虚に学ぶべき。


どんな博識の偉い学者でもわからないことはあるし、そのわからないことを学の無いおっさんがわかってることもある。その時はお偉い学者であろうと学の無いおっさんに謙虚に学ぶべき。この時に上なのは学の無いおっさんの方。他の事柄での優劣は関係ない。わかってる側とわかってない側ではわかってる側が絶対的に上。自分のわかってないことをわかってる相手から謙虚に学ぶべき。



で、

批判や非難はわかった上でしなければいけない。
言ってる事はわかるがここが間違ってるとか、
言ってる事はわかるがこの部分の考察が抜けてるとか。
わからないなら批判や非難する前に理解する努力をしなくてはいけない。
批判する相手を理解しなくてはいけない。
わかってない者として、わかる努力をしなくてはいけない。
(上記の理解はもちろん同意の意ではない)


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追伸
わかってないことを自覚してわかろうとする者は敬意を持って遇するに値する。私はわかろうという姿勢があるならたとえ今現在わかってなくとも馬鹿にはしない。