罰の話題に持ち込めば勝ち

好ましくないことを行った者に対して罰を与える。


通常これに異議を唱える者はいない。普通の人にとってはわざわざ同意するまでもない当たり前のこと。科す罰の重軽では意見も別れ揉めもするだろうが、罰を科すことそのものに異議を唱えることはない。異議を唱えるのは唯一サヨクだけ。


罰を与えることの意味、その必要性でサヨクと議論すれば、
普通とは違うサヨクの異常性を露に出来る。
しかしサヨクの主張には罰するという概念が欠けてる。
だから罰の話は主張の中にも出てこない。
普通に受け答えをしてたのでは罰の話にはならない。
よってこちらから罰に話を持っていかなくてはならない。
こちらから罰を科すことに話を持っていく。(ステップ1)


罰を科すことを忌避するサヨクは罰に関する理論を持ってない。
罰の話に乗ってこない。
乗ってこないで別の話に変えようとする。
これを許してたのでは埒が開かない。
不毛な議論の無限ループに陥る。
だからこれを許してはならない。
罰を科すという論点を維持しなければならない。
罰を科すという論点の維持に努める。(ステップ2)


そしてそこで罰を科すことの必要性を主張する。
別段難しいことは言わなくていい。むしろ単純なのがいい。
罰せられるの嫌がって止めるとか、やらないとか、
罰せられてる人をみて他の人が罰せられないようにしようと思うとか。
だから効果があるのだと。
そして、ただ主張するだけでなく同意を求める。
主張し、その後で「そうだろ?」と一々同意を求める。(ステップ3)


もちろんサヨクは同意しない。理屈こねくり回して抗う。
罰を科す効果は誰もが認めるもの。
それにサヨクは理屈こねくり回して抗う。
しかしもうそんな理屈に付き合う必要ない。
実際に効果があるのは事実と同じことを繰り返せばいい。
その度にサヨクは理屈こねくり回し、現実とかけ離れた屁理屈を重ねる。
結果サヨクの異常性が際立つ状況が生まれる。(チェックメイト


サヨクとの論戦の参考にどうぞ。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  


サヨクは負けを認めない。決して認めない。
でもそんなことはどうでもいい。
サヨクとの論戦の目的はその考えの間違いを明らかにし、
どこがどう間違いかを周知のものとし、
その考えを世間一般に通用しないものにすること。
その為には決着はつけない方がいい。
サヨクの異常性が際立つ状況を出来るだけ引っ張るのがいい。


これはこれでなかなか難しいのだけど。


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