サヨクの中国の認識に対する考察

「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」を読んで
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2008/222.html

今回はこの分析を試みる。


私は、ギョーザ、チベット、油田開発などの「懸案」があるにもかかわらず訪日を行った胡錦涛主席の決意と抱負には並々ならぬものがあったと感じるものですが、

まあそうでしょうね。


・・・訪日を行った胡錦涛主席の決意と抱負には並々ならぬものがあったと感じるものですが、その決意と抱負が共同声明に強く反映されていると感じるのです。


胡錦涛主席の決意と抱負は当然あったでしょう。まあ反映もされてるのでしょう。強くかどうかは疑問だけど、筆者の思い入れが強くと感じさせもしたのでしょう。


日本政府の外交・安保・対中政策の実情を踏まえるものであるならば、共同声明の中のいくつかの重要な記述が中国側の対日認識(姿勢)・世界認識(姿勢)を強く反映したものであることを読み取ることは難しくないはずだと思います。


ここからが分析の本番。
「共同声明の中のいくつかの重要な記述」は「日本政府の外交・安保・対中政策の実情」とは違ってる。故に「共同声明の中のいくつかの重要な記述」は中国側から出たんだと。そしてそこから中国側の対日認識(姿勢)・世界認識(姿勢)が読み取れるんだと筆者はそういってる。


サヨク側の認識を持つ筆者の思い浮かべてる「日本政府の外交・安保・対中政策の実情」は敵対的なものだと思われる。ギョーザの問題できつく当たったり、チベットの問題で批判したり、油田開発で盗掘だと非難したりといった敵対的なもの。だから敵対的な日本の姿勢とは違う「共同声明の中のいくつかの重要な記述」は中国側から出たんだと筆者は言おうとしてる。
「共同声明の中のいくつかの重要な記述」とは「敵対的な日本の姿勢」とは違うもの。つまり平和や協力関係を謳うもの。それを中国側が出してきたんだと言おうとしてる。
「敵対的に振舞う日本に対し、平和的な協力関係を求める中国」
筆者はこの構図で日中首脳会談を捉えてるわけだ。
なので、共同声明の中の「平和や協力関係を謳うもの」は中国側が出してきたものであり、これが「中国側の対日認識(姿勢)・世界認識(姿勢)」なんだと捉えてる。


簡単にまとめると、
 ギョーザ、チベット、油田開発等で何かと中国を悪くいう日本。
 でも出てきた日中共同声明は平和・友好・協力を謳うもの。
 中国を悪く日本が平和・友好・協力を言うはずもなく、
 であればこれ等は中国が出したもの。
となる。だから、
 中国側の対日認識(姿勢)は日中の平和・友好・協力。
それを出してきた胡錦涛主席は、
 日中の平和・友好・協力に関しての決意と抱負には並々ならぬものがあった。
ということになる。と。


わけわからん!


何を言おうとしてるのかはわかる。この理屈もわかる。敵対的な日本を前提として、出てきた友好的な共同声明から類推すればこうなるのはわかる。でもこれを正しいと思えてしまう感覚がわからん。


中国って全然平和的でも友好的でも協力的でもないやん!

中国が協力的でないのってギョーザ事件で明らかやん!



私はそう思う。だから中国側の対日認識(姿勢)が日中の平和・友好・協力だという答えが出てきても納得出来ない。この推論はどこかおかしいと思う。どこがおかしいかわからなかったとしても、どこかおかしいとは感じるはず。得心など出来ない。しかし、サヨクはこれに得心してしまう。この感覚がわからん。


日本が中国に敵対的というのはサヨクの認識からすればわかる。同意はしないけどわかる。ギョーザの件などは中国が悪いにしても、中国に敵対的な日本が中国をことさら取り上げて中国を悪く言おうとしてるんだと思ってるだろうことはわかる。中国に対する否定的な認識を多くの日本人に持たせたくて騒いでるんだと受け止めてるだろうことはわかる。実際騒いでる側にそういう面はある。中国はこんな悪いところのある国なんだと知らせようとして取り上げてる面があるのは確か。事実悪いから言い立ててるので特別なことではないのだけど、サヨクが必要以上に騒いでると受け止めるのはわかる。
しかしそれはそれとして中国が協力的でないことだってわかりそうなもの。ここで協力的でないという認識を持てば「中国側の対日認識(姿勢)は日中の平和・友好・協力」という答えに違和感を感じるはず。得心し難いものを感じるはず。それが筆者の記述からまったく感じられない。筆者は「中国側の対日認識(姿勢)は日中の平和・友好・協力」だと本気で信じてる。


そこには、日中関係がアジア太平洋及び世界のための真の平和のための柱になることを切願する中国の思いがにじみ出ているのです。その思いは真摯であり、一片の疑いの余地もありません。


これに対し中国では、「平和と発展」こそが世界の潮流であるとする明快な世界認識・歴史認識がどっしりと根を下ろしています。


あの中国のいったいどこをどう見ればこう思えるのか・・・
なぜこんな風に思えるのかがわからない。




わからないとばかり言っててもしかたないのでここからは推察。
この筆者は外務省にいた人で中国に勤務もした人。たぶん相当手厚くもてなされたのだと思う。裏の意味でなく中国に対し情愛が沸くような親愛の情のこもったもてなしを。そして日中の将来について語り合いもしたのだろう。そこで聞かされたのが筆者がここで書いてるような平和的な思い。そして「我々(中国)はこう考えてる、こう願ってる、色々問題があって思うようには行ってないが、将来的にはこうしたいんだ、互いに協力してそんな将来を実現しましょう」というような話をして意気投合だってしたのではないかと思う。筆者はそれなりに中国の事情に詳しい。中国首脳の想いがどうであれその通りにいかない事情はいくらでも思いつく。だから中国の言動が自身で聞いた想いとは違うものでも疑問には思わない。その想いを疑ったりしない。目に見える言動がどうであれ直接聞いた中国側の想いが本心だと思い続ける。中国の言動が全然協力的なものでなくとも、友好的でない行動をとっても平和的でない行動を取っても、中国側の本心は日中の平和・友好・協力なんだと思い続けもする。
そして今回日中共同声明で日中の平和・友好・協力が謳われた。「これだ、これこそが中国の本心なんだ、中国の思いがにじみ出てる、中国側の心からの願いだ、中国はこれを切望してる」と、思ってた通りのものが出てきたという喜びも合わさって感銘を受けこのような記述になったのではないかと。


辻褄は合ってると思う。中国をよく知ってるチャイナスクールの面々が親中となり、中国の行動が全然平和的でも友好的でも協力的でもなくともその想いが揺るがない説明にもなるものだと思う。
とりあえずこれは今のところの推察。今後も親中派の言動を観察してわけわからん部分を解き明かしたいと思う。


こんなのは本当は親中派自身が説明すればいいのにって思う。理解求めたいなら自ら疑問に答えろよって思う。そうすれば推察でなくズバリがわかるのに。

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