問題は強制でなく強制と思うこと

村野瀬玲奈の秘書課広報室
君が代」の歴史について勉強
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-732.html
これに対して。



「すでに何十年も前から、慣習上、日の丸が日本の国旗で君が代が日本の国歌である」ことは誰もが知っていますし、その事実を教えることに問題は何もありません。


普通に教えてくれれば十分です。


私がおかしいと思うのは、それらの事実を教えた後で、国旗や国歌を持ち出す必要性があるとはあまり思えない式典(特に学校の卒業式や入学式)で、やれ起立せよ、やれ歌え、と強権まで発動して強制することなのです。


持ち出したっていいと思う。日本の学校の卒業式なんだから。公立の学校なら尚更。
「強権まで発動して強制」ってのは確かに異常。でも、
起立ぐらいすりゃいいじゃん。
歌やいいじゃん。

大した手間でもないでしょ。

そんなに国旗掲揚が嫌? 国歌斉唱が嫌?


嫌なのでしょうね。嫌だから強制だって騒ぐ。
上からの指示を強制だというなら強制なんて山ほどある。
卒業式に付きものの蛍の光だって別に生徒の要望で入ってるわけじゃない。
校歌斉唱だってそう。生徒に歌いますかと聞いて入れてるわけじゃない。
それでも式のプログラムに入ってたりする。
でもって音楽流れてくれば歌いもする。
これが強制と騒がれないのは歌うのが別に嫌ではないから。
嫌でないから歌いましょうと言われれば抗いもせず歌う。
国歌だって歌いましょうと言われて抗わず歌えば強制なんて話にはならない。
歌ってる生徒にしろ教師にしろ強制されてるなんて思わない。
歌うのが嫌だなんて思うから強制だって思いもする。



「嫌なら嫌でいいじゃん、強制までして歌わせる必要ないじゃん」

まあそう。だけど、ちょっと待て、何故そんなに嫌?
日本の国歌となってる歌を歌うのが何故そんなに嫌?


君が代って歌そのものは特別嫌がる要素のある歌ではない。その君が代をそれ程嫌がるというのは嫌がる理由となるものが歌そのものでない部分にあるという事。その嫌がる理由となってるものは何?


問題はこの「嫌がる理由となってるもの」。
この「嫌がる理由となってるもの」があるから強制なんて話になる。
問題は強制ではなくこの「嫌がる理由となってるもの」。



小中高校生程度の普通の人生経験で国旗掲揚や国歌斉唱を嫌がる理由を持つとは思えない。ほとんどの生徒は政治に大して関心持ってない。小中高校生にとって国なんてちっとも身近なものでなく好きも嫌いもなく関心持ってない。自分の関心事で精一杯。国なんか別段意識しない。普通はそう。それが国旗国歌に強い抵抗を示す。それはつまり関心持たせ、嫌がるように仕向けた者がいるということ。探すまでもない。これはもう明らかに教師。国旗掲揚や国歌斉唱を嫌がるように生徒に教え込んだ教師の存在こそが国旗国歌問題の真の問題。


強制はハッキリいってこのような教師に対する対策。
本当は強制などする必要ない。国に対する愛着など放っておけば自然と持つ。そうなれば国旗国歌への愛着や思い入れも自然と持つようになる。放っておいて特別なことはしないのが一番いい。でもそうして放っておくと教師が生徒に国旗国歌への嫌悪を植え付け、国旗国歌を生徒から遠ざける。君が代を知らなかったり歌ったことがないなんて生徒が出てくる。それを防ぐ為に強制というのが必要になる。強制的に歌う場を作る必要が出てくる。
「強権まで発動して強制」は異常。でもそれは異常な事態に対処する為だから。


強制といったって嫌がらない者は嫌がらない。
ちょっと立って歌えばいいだけ。
気にもせずやってしまう。歌ってしまえばもう終わり。
それでどうこうなんて何もない。
嫌ってなけりゃ全然大したことないものでしかない。
それが嫌ってる者には特別なものになる。強制と感じるものになる。
嫌う者にとってだけ強制になる。


強制が問題なのではない。
嫌がるのが問題。
嫌がる理由とそれが生徒に植え付けられようとしてるのが問題。
嫌がるよう仕向けてる教師の存在が問題。


嫌でないなら歌えばいい。
強制だ何だと気にせず歌えばいい。
それが出来ないのは嫌だから。
歌いたくないから強制だと騒ぐ。
歌いたくないから理由として強制を持ち出す。
そうではないか?


強制が理由で歌わないなら強制しなければ歌うのか?
求められもしないところで自ら歌ったりするのか? しないだろ?
であればやはり問題は強制ではない。
強制云々は歌わない言い訳。誤魔化しに過ぎない。
強制でなく反国旗国歌が問題。



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その他部分の感想。 


ひどい例では、東京都のどこかの都立の障害児学校で、身体的障害の理由から体の動きが制限されている子ども(寝たきりの子どもだったとおぼろげに覚えています)にまで国旗への敬意を示す仕草(起立だったか介護装置から下ろして壇上に上げることだったかなんだったか詳しいことは覚えていません)などを強制することもあったという新聞か雑誌の記事を見たことがあります。

異常過ぎる。あまりに異常で当て付けなのではって気する。
「やらせりゃいいんでしょ、やらせりゃ!」って感じでやってる気する。
でもってこんな酷い強制が行われてるんだって言触らしてる感じ。

私は国旗掲揚しろと言う側ではあるが、そんな私だってこれは無茶苦茶だと思う。こんなもん誰だってそう思う。いくらなんでもそこまで強制したがってる奴はいない。



君が代は日本の伝統だと言う人がよくいるのだけど、


君が代そのものが日本の伝統というわけでなく、日本の伝統を表してると言ってるのでは?
和風の着物着たキャラクターを“たった今”作ったとして、
“たった今”作ったわけだからそのキャラクターが日本の伝統のわけはない。
でも和風の着物を着てることで日本の伝統を表してはいる。
そういう意味で日本の伝統を表していると言ってるのでは?

日の丸にしろ君が代にしろ近代になって作ったものだってのは国旗国歌の問題に関心持ってる者は知ってる。聞いたことぐらいはあると思う。まあ近代になってからのものにしたって結構な年月経ってるから伝統といっておかしくもないけど。創業100年なんてのは立派に伝統だし。日本の歴史からすれば新し過ぎてちとそぐわないけど。



作曲がされたいきさつに複数の外国人がからんでいることと、民衆の中から曲への希求が湧き起こってきたのではなくて薩摩藩兵の将校で後に陸軍元帥になる人、つまり、軍人、というか政治側の人がからんでいること。


こういうのは全然気にならない。軍アレルギーもないし政治側の人間を敵視するって感覚もない。外国から何かを学ぶとか取り入れるってことにも抵抗ない。外国から取り入れたものを消化吸収し日本独特のものにするってのは日本の誇るべき特質くらいに思ってるから全然気にならない。だから何?って感じ。

ウヨクを国粋主義みたいに思って書いてるのだろうけど、他国の文化や技術取り入れて発展したという自覚があるからサヨクの人が思ってる程国粋主義なわけでもない。無理やり押し付けられたというのでもない限り気にしない。