今回の発見その一

>えー文章にしないことで語られることが往々にしてあるわけでして、それを「行間を読む」という文学的な表現があるわけですが、日本語能力に重大な疑義のあるsadatajpさんにはご理解がないようですな。


サヨクは行間を読むことを重視してる。
それを意識的に積極的に行ってる。


以下はまだ仮説。


行間を読むったって相手が書いてない相手の思いを読み取るわけじゃない。相手の書いてないことを行間に付け足してそれを読んでる。相手のではない自分の考えを付け足して読んでる。俗にいう脳内変換。これを無意識にではなく意識的に且つ積極的に行ってる。もちろん自身で脳内変換だと思ってるわけもなく、自分が付け足したその文章を相手が書いたものとして読んでる。相手の行間を読んでるつもりになって読んでる。


同じ考えのサヨク同士なら問題は起こらない。自分で書き足すものと相手が考えてるものが同じだから自分の考えるものを書き足しても相手の意図通りのものになる。でも考えの異なる相手にこれをやると相手が考えてないことを付け足すことになってしまい相手が書いてるものと違ったものになって問題が起こる。「そんなこと書いてない」なんて言わなくてはならなくなる。「違う、私が書いたのはこうだ」と返しても、その返した記述にも書き足して違ったものにして読んでしまう。付け足すと必ず元々の書いてあるものとは違ったものになる。それを意識的に積極的に行ってるとなると常に必ず読み違えるってことになる。際限なく違うと言い続けなければならなくなる。(彼らと話すとこんなんばっか)



まだ仮説だけど結構合ってる気する。
彼らの行う脳内変換は意識的に行ってる「行間を読む」。
そうだとするともう読解力の問題じゃない。
彼らは文章そのものは読み取れてる。
ただしそれに別のものを書き足して内容を理解してる。
本来のものとは違う内容で理解してる。
伝わらないわけだ。




あとこれも。これは書き足しではないけれど、


『「国旗掲揚・国歌斉唱を強制と感じる方がおかしい」というような逃げではなくて。』by村野瀬玲奈

この段階でもう全否定してやんの。何書いたって伝わるわきゃねーな。