相手が違うだろ

前回のエントリーはこれを書くための前置き。


秋葉原通り魔事件と駅ビル通り魔女性刺殺

派遣で絶望で、自身を現状の状態に追いやった社会への抗議と言った意味もあるのだろう。
酷い扱いをした派遣先の上司や、搾取する派遣会社や自身をそのような境遇に追いやる元となった法律改正を行った政治家に対し凶行に及んだというなら私はその行為を支持したかもしれない。がしかし凶行に及んだ相手は犯人にとってまったく関係の無い第三者。こうなるともうどうにも支持出来ない。庇えもしない。どんな理由を挙げられても同情出来ない。生活苦だとか絶望だとか犠牲になった第三者にはまったく何の関係もない。何の理由にもならない。身勝手な犯罪者でしかない。犯行に及んだ原因も第三者を的にしたらボケる。


町村長官の発言
『また「フリーターの人が事件を起こすと、やっぱりフリーターが悪いんだと、わかりやすいから理屈を付ける。世の中からフリーターがいなくなれば一切こういう事件が起きないかといえば、そういうわけにはいかない」とも述べた。』


三者を的にするからこんなコメントになってしまう。派遣会社の人間や派遣に関する規制緩和を行った関係者を襲えば問題が派遣にあることが明確になりこんなコメントで逃げられない。どうせやるなら相手を選べ。第三者は的にするな。



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三者を的にする無差別テロはそこにどんな理由があろうと支持しない。その理由がどんなに同調出来るようなものであっても無関係の第三者を的にした理由は絶対にその理由ではない。たまたま手近なところにいたから。これ以外であるはずがない。これほど身勝手な理由はない。こんな理由を支持出来るはずがない。こんな理由に同調など出来ない。第三者を的にした時点でもうそいつは単なる身勝手な犯罪者でしかない。こいつ等には非難のみが相応しい。問答無用での処罰を求める。