人格攻撃のススメ

お玉おばさんでもわかる 政治のお話
「正義感あふれる方々・・・ 」
人のことは人格攻撃しても気がつけないくせに、ちょっと言われると「傷つく人」もおおいよなあ・・・・
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-419.html


私は人格攻撃するよ。意識してやってる。
しないでどうすると言いたい。
もちろん事実と異なる人格攻撃はいけない。
でも事実であればいうべき。


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基本的に自分の悪いところはわからない。
悪いと思ってるなら初めからやらない。


「わかってはいるけれど」というのも実のところわかってない。
「けれど」の後には色々な直さなくてもいいという自分なりの理由があって、「直せない」「止められない」という結論になってる。部分として悪いとは思ってるけど総合的に考えたら悪くないと思ってる時に出て来るのがこれ。だから悪いままにしてる。本当に悪いと思っていればやらない。

自覚のない悪いところは本人まったくわかってない。自覚がないのだから当然。


である以上誰かが指摘しないと悪いところというのはわからない。悪いところがわからないままだとその悪いところを直すことはしない。悪いところに気付いて直すにはまずはその悪いところに気付く必要がある。よって悪いところに気付いて直すには他者からの指摘がどうしても必要だということになる。


指摘するのは悪いところ。特定個人の悪いところ。
そしてこの悪いところが人格に関わるものであれば、
この指摘は『人格攻撃』と呼ばれるものになる。


つまり、人は人格攻撃されないと悪いところに気付けない。直せない。
人格攻撃されて初めて悪いところに気付ける。直す可能性も出てくる。
人格攻撃は悪いことでは決してない。有益なものである。


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悪いところを指摘されるというのは嫌なもの。
それが当たってると余計に嫌だと感じる。
だから人格攻撃はされたくはない。
しかしだからといって人格攻撃を控えると悪いところの指摘が成されなくなる。
悪いところが改善されるということもなくなる。悪いところは悪いまま。
そういうことになる。悪いところが悪いままでいいはずがない。
される方が嫌がるからと人格攻撃を控えてはならない。
私はそう考える。故に私は積極的に人格攻撃を行う。
相手をじっくりと見て、悪いところを選り分け、その原因が何かを探り、指摘する。
このブログでやってるのもそれ。
(ただしブログでは特定個人でなく特定の特徴を持つ人ということになる)
私はこの指摘にもっとも力を入れている。


とは言え細かいことまで口出す気はない。
人間は神ではない。聖人君子にもそうそうなれるものではない。
そこまでは求めない。平均以下の大きな欠陥を持つ人格に対し、
積極的に人格攻撃を行う。他の人にもそうすることを求めたい。


追伸:
悪いところに気付いての改善が期待出来るところが人格攻撃の有益な点なのだから、人格攻撃は本人に直接行ってこそ有益ということになる。人格攻撃は本人に向かって直接行わねばならない。相手のブログに出向いてコメント欄に書き込む意義がそこにある。直接やり取り出来る掲示板で行う意義がそこにある。


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