喜八さん、観察力無さ過ぎ

思わずまたまたレッテル貼りの話。

喜八ログ
「ウヨ」「サヨ」
http://kihachin.net/klog/archives/2008/09/uyosayo.html

さて、話はいよいよ核心に入ります。
「ウヨ」「サヨ」が便利な言葉だというのは次のような意味であります。
「自分(たち)とは意見や立場が異なる者」に「ウヨ」または「サヨ」というレッテルを貼り付ける。
この場合、相手が本当に「右翼」か「左翼」は関係ありません。
とにかく問答無用にレッテルを貼ってしまう!
そして、その後は「あいつはウヨ(サヨ)だから偏っている・バカである・工作を行なっている」と断定して、相手の言説・存在を100パーセント否定する。
つまり、最初にレッテル貼りさえすれば、その後はマトモな議論をすることなしに、相手を無条件に貶《おとし》めることができるわけです。
なんと!
「ウヨ」「サヨ」は無敵のマジックワード(※)ではありませんか?!


と、喜八さんはおっしゃる。
要するに喜八さんはウヨやサヨのレッテルがこの程度のものでしかないと思ってるわけだ。ウヨやサヨのレッテル貼りをそのようにしか捉えることが出来てないわけだ。なんて薄っぺらい捉え方なんでしょうw


各々自身を思い浮かべて下さい。
自分がウヨとかサヨとか言う時に「意見や立場が異なる者」ってだけで使ってますか? そんなに簡単にウヨだとかサヨだとか言いますか? まず間違いなく言ってないでしょう。 少なくとも私はそんな人一人も見たことがない。 出鱈目書き散らすアラシの中にだって一人もいなかった。皆さんはそんな人見たことありますか?
それぞれに思い当たる人というのは居るかもしれません。でも改めてその人を思い出してみてください。本当にそうかどうかを。


改めて、
ウヨ同士で意見が食い違うことってありませんか?
サヨ同士で意見が食い違うことってありませんか?
必ずあるはずです。ウヨだってサヨだって意見に幅があります。幅があるのだからウヨ同士でだって必ず食い違うことあるし、サヨ同士でだって必ず食い違うことがあります。それで相手をウヨでなくサヨだとか、サヨでなくウヨだと言うかと言えばそんなことはないでしょう。ウヨ同士であること前提に、サヨ同士であることを前提に意見戦わせたりしてるでしょう。違いがありつつも些細な違いだと流し意見は戦わせなかったりもしてるでしょうけど、ともかく同じ側だと認識しつつも意見の違いを感じたという経験は誰でもしてるはずです。 で、それで相手をウヨでなくサヨだとか、サヨでなくウヨだとあなたは言いますか?言ってはいないはずです。
であればウヨとサヨを見分けてるポイントは単なる意見の違いではないはずです。単なる意見の違いではない見分けるポイントがあるはずです。あるでしょ、基準。明確ではないかもしれないけど基準は必ずもってます。このことは自身でどう見分けどう判定してるかを考えればすぐわかるはずです。
同時に
ウヨかサヨかに関係無しで「問答無用にレッテルを貼ってしまう!」なんてことしてないのもわかるはずです。やってないでしょ、皆さん。


>そして、その後は「あいつはウヨ(サヨ)だから偏っている・バカである・工作を行なっている」と断定して

逆でしょ。偏ってるからウヨ(サヨ)、バカだからウヨ(サヨ)、工作を行なっているからウヨ(サヨ)でしょ。皆さんそれぞれそんな判定の仕方してるでしょ。


断定は断定でしょうけどね、なぜそう断定したのかの根拠は必ずどこかにある。ウヨとかサヨとかいう時はこれこれだからウヨ(サヨ)って書いたりもしてるし。それみればその人なりの根拠があるんだってことぐらいはわかる。ウヨサヨ関係無しで問答無用にレッテル貼るなんてしていないことぐらいわかる。はず。
喜八さんにはそれすらわからないのですかね? ちょっと考えればわかるはずですがねぇ。本当にわからないというなら自身持って喜八さんを馬鹿だというよ、私は。わからないわけがないと思うがね。



>相手の言説・存在を100パーセント否定する。

レッテルを貼った後に100パーセント否定する人は結構いますね。100パーセント否定して一切耳を貸さなくなる人は結構います。これについては私も問題だと思います。でもそれもレッテルを貼った後。サヨウヨの判定を行った後。ウヨサヨ関係無しで問答無用にレッテル貼るなんてことはしていない。



>つまり、最初にレッテル貼りさえすれば、その後はマトモな議論をすることなしに、相手を無条件に貶《おとし》めることができるわけです。


これはサヨ的な思考。サヨはこう考えてレッテル貼りだけで終わらせますが、ウヨは違いますよ。おかしなところをあげつらって説明付けて丹念に貶めようとします。「自分は自分、人は人」で自分でわかっていればいいと考えるサヨはレッテル貼りだけで自分を納得させられるのだけど、自分だけでなく人にもわからせないと気が済まないウヨはレッテル貼りだけでは気が済まない。そのレッテルが合致するものであることを証明しようとする(ただし相手にではなく他の人に対して) レッテル貼るだけでは貶められるとは思わず議論を止めたりしません。散々如何に駄目かをあげつらって貶めた後は放置もしますがね。


これはサヨ自身にはない考え方だからサヨが自分を振り返ったのではわからないのだろうけど、ウヨのやり方観察してればすぐにわかるはずのこと。実例はそこ等中に転がってる。それ見りゃわかるはず。


>「ウヨ」「サヨ」という無敵のマジックワード
>これを「意見・立場の異なる者」に貼り付け、その後は無条件に相手を貶める。
>これって全然ダメでしょう、というのが私の結論です。


全然ダメですが、誰一人やってませんからw

喜八さん、観察力無さ過ぎです。




>「小泉純一郎サヨクだ」論は奇妙奇天烈に感じてしまいます。
>あるいは、もっと酷いものになると「雅子皇太子妃はサヨクだ」なんてのがあります。


どちらもそれなりの根拠があります。それが自身で納得出来るものかどうかは別にして、言ってる人がそう思うだけの根拠はあります。それを言ってる人はその根拠を言ってるか書いてるかしてるはずです。「奇妙奇天烈」だとか「いくらなんでもソレはないでしょう」とか言ってないでそれ読みましょうよ。その人なりの意見として耳傾けましょうよ。そんなだから観察力ないこと書いてしまうのですよ。そんな観察力で物事考えたって間違った答えしか出ませんよ。


「自分(たち)とは意見や立場が異なる者」とはそんな言葉通りの意味で書いたのではないと喜八さんは言いそうな気しますが、こんな書き方しか出来ないところがもう駄目。ウヨとサヨの違いが把握出来てない証拠。
そもそも「正直に言って「右」とか「左」とかいうことには一切興味がありません。」なんて思っててウヨとサヨの違いがわかるはずもない。レッテルの意味だってわかるはずもない。興味が無いのだから薄っぺらい捉え方になるのも当然。
そんな薄っぺらい認識しかなくて人の行為を悪く言うな。興味ないなら黙ってろ。


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