初めは強いるところから

[http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-130.html:title=一知半解なれども一言申す
「人はみな「選択的良心」の持ち主である。」]http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-130.html


ほとんど同感なのだけど、最後の部分だけ異議あり
異議というより補足かも。上記を読んでからお読み頂きたい。


抜粋

以上のことから、気をつけねばならないポイントを簡単にまとめますと、次のことになるかと。

・「事実の認定」を政治的立場で歪めない。

・人は偏見から逃れられないこと、また、選択的良心の持ち主であることを自覚する。

・都合の悪い事実を隠蔽しない。

・対立する意見を封じたり無視しない。


これらが出来ないと、いつまでたっても日本版「カハン報告」というものは出来ないのかも…。

人は偏見から逃れられない。故に自身の偏見に気づけない。自身の選択的良心に気づけない。それが人。
都合の悪い事実は隠したいと思う。自分の意見を通したいと思えば、対立する意見を封じたいと思いもする。自分の考える正しい意見と対立する意見は、自身にとっては間違った意見であり、無価値に思える意見。無価値な意見となれば無視もしたくなる。それが人。そんな人に自分で気をつけて自分を正せと言っても無理。よって、


・「事実の認定」を政治的立場で歪めさせない
・人は偏見から逃れられないこと、また、選択的良心の持ち主であることを自覚させる
・都合の悪い事実を隠蔽させない
・対立する意見を封じたり無視したりさせない


とすべき。人は他の人からそういう働き掛けがあって初めて気づける、自覚出来る。歪めないよう注意するようになる。隠蔽を、意見を封じることを、無視することを諦め、嫌々ながらも非を認め、対立する意見に耳を貸すようになる。嫌々ながら。


嫌々ながらもやれば、そうすることの必要性を実感出来る。その必要性がわかってくれば、自覚し、自ら注意するようになる。対立する意見に価値を認めて耳を貸すようにもなる。一足飛びに自らやれなんていっても無理。


まずは嫌々ながら強いられて。
強いられてやって、やって初めて必要性を理解する。
必要性を理解して、初めて自らやるようになる。


が、ここまでに至る人は極々一部。実行には嫌だという自我との葛藤に打ち勝たねばならず、その必要性を理解したからといってなかなか出来ることではない。やったからといって正しい答えに辿り着けるものでもない。気をつけてても間違える。それが人。


よって、必要なのは働き掛ける人、環境。
個々に求めるべきは、他の人がそうしてるのを許さない姿勢。放っておかない姿勢。
これだって簡単ではないが、自らやれというよりは遥かに簡単。


簡潔にまとめると、
嫌がろうと何だろうと強いる。無理やりにでも強いる。
大事なのはこれ。


人気blogランキングランキングバナー間違ったことを強いられようとしたら?
そんときゃ全力で跳ね除ける。これも大事。
結果、自分か相手かどちらかが淘汰される。それが自然淘汰。