サヨの三権分立は司法最強

立法府の暴走を防ぐしくみは、まず選挙。次が議会での審議。衆議院参議院という二院制にもなってる。これらが暴走を防ぐしくみ。


立法府と一まとめにして言ってるけど、この立法府の中身は議会で、選挙を経て選ばれた議員が政党を組んで与党と野党に別れて喧々諤々やってるところ。暴走を防ぐしくみは立法府の中に組み込まれてる。



しかしサヨクの認識だと、立法府の暴走を防ぐしくみの筆頭は司法。憲法を錦の御旗にして、違憲立法審査権を使い、違憲だから法律変えろとか、法律作れとかいって司法に立法府を制御させるというのが、サヨクの認識する立法府の暴走を防ぐしくみ。サヨクにとって三権分立はこの為のもの。故に違憲立法審査権が重要なものとして取り上げられてる。


サヨクの認識はこのようなものなので、立法府や行政府に不満があると、本来要望を持ち込むべき立法府の議員にではなく、司法に持ち込む。違憲だといって持ち込む。司法に違憲判決出させて、有無を言わせず立法府や行政府に自分達の言うことを聞かせようと、司法に持ち込む。
実際、司法が違憲判決を出すと、立法も行政も従わざるを得なくなる。違憲判決が出ると、もう国民の異議も議員の異議も通らない。国民がどう考えてようと、議員がどう考えてようとまったく関係なく、司法の判断に否応無く従わざるを得ない。司法の示す法律を作ったり、法律を改変したり、作った法律を無効として破棄しなければならなくなる。司法の違憲判決は絶対的な効力を有する。この時の司法の権限は誰にも逆らえない程に強いものになる。



本来、司法の暴走の歯止めは、司法が基くべき法を作るのが立法府だということ。司法は立法府の作る法律に従わなくてはならず、これで権限はかなり制限されるし、法律の立法や改変で司法を制御出来る。
が、司法が基くべき法が憲法となると別。憲法は改変が極めて困難な作りになっており、立法府憲法で司法を制御するのも極めて困難でまず出来ない。憲法が絡むと立法府は司法を制御出来ない。歯止めを掛けられない。
これで憲法の解釈権までが司法(最高裁判所)にあるとすると、司法の権限はますます大きなものになる。
非常に幅広い解釈が可能な記述になってる憲法の解釈権は、実質的に憲法の中身を決める権限と同じ。これは最早立法権。それも憲法を決めるという立法権サヨクはこれが司法(最高裁判所)にあると考えてる。
結果、司法が、憲法を決めるという立法権を持ち、それを基に、立法や行政を制御するという、立法や行政の上に立つ最強の司法が出来上がる。サヨクが意図してる司法の姿がこれ。



三権分立は三権に権力を分散させることで権力の集中を防ぐもの。
権力の集中を防ぐというのが三権分立の基本中の基本。


しかしサヨクの掲げる三権分立は権力が分散していない。
権力が司法に集中するしくみになってしまってる。
基本中の基本が出来てない。サヨクの認識する三権分立は間違っている。




一応弾劾裁判というものもあるけど、これは『司法の独立』ってことで使えないようにされてしまってる。行政から司法への任命権も、行政が自由に任命出来るようなものではなく機能していない。司法を抑えるしくみは実質ない。司法最強。




憲法を不磨の経典として掲げる司法が、立法と行政を操り、憲法の理念に国民を従わせる。


サヨクの主張を統合するとこんな姿が浮かんでくる。


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