まずは自国。自国民最優先で何が悪い

■保護しなきゃ死ぬ。放っておけない。

世界は保護主義化した: 浜 矩子(同志社大学教授)(1)
http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20090524-01.html

たちの悪いはやり病が地球経済を覆い尽くそうとしている。その病名は「自分さえ良ければ病」である。わが社さえ良ければ。わが銀行さえ良ければ。わが産業さえ良ければ。そして、わが国さえ良ければ。国々がこの病にかかると、それは保護主義というかたちで発症する。


「自分さえ良ければ」でなく「まず自分達が生きなければ」。
保護貿易はいけないと言ったって、保護しなきゃ国内産業が破滅するとなれば保護しないわけにはいかない。状況は切実。「自分さえ良ければ」はいけないということで自由競争を維持してると、自分達は生きられなくなってしまう。つまりは死んでしまう。自分達の死を受け入れてまで自由競争を維持する意味があるのか?
あるわけがない。何よりの最優先は生き続けること。自分達が生き続けること。自分の家族が、友人が、知人が、生き続けること。場合によっては「自分達」の内の「自分」は死んでもいい。実は「自分」は案外簡単に諦められる。諦められないのが仲間の死。だから、自分の仲間達が生き残ることが何よりの最優先となる。保護しないではいられない。


「自分さえ良ければ」ではもはやだめだ。発想を逆転して、「あなたさえ良ければ」といおう。


馬鹿なことを。
余所者を生かす為に、自分の仲間達を見殺しにしろなんて言われて、納得出来るわけがない。


「自分さえ良ければ」の言外にあるのは「他者を犠牲にして」。自分が良い思いをする為に、他者を犠牲にするから悪いのであって、他者を犠牲にすることなく、自分が良い思いをするというなら何も悪くない。自国民保護は他者を犠牲にするものではない。何も悪くない。


こういうと自国民保護で割を食う外国人を犠牲にしてるという反論が出てくると思う。引用した記事の方も外国人排斥の話へと移っていく。

世界は保護主義化した:浜 矩子(同志社大学教授)(3)
外国人排斥の終着点
http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20090524-03.html

ヒトについては、追い出しと引きこもりの両面で、「自分さえ良ければ主義」が深まっている。追い出しの面では、イギリスの状況がもっとも気掛かりだ。「職よこせ」デモが頻発している。そのなかで労働者たちが振りかざすプラカードには、こう書かれている。「イギリスの職場はイギリス人のために」

政府があれこれ経済対策を打ち出し、雇用機会をつくりだしても、その雇用機会が外国人労働者に奪われてしまうのでは何にもならない。イギリス人に仕事が回るように配慮しろ。それが彼らの論法だ。(以下略)

筆者は、この外国人労働者を排除する動きを「自分さえ良ければ」だと言ってるのだけど、本当に「自分さえ良ければ」は、この自国を放って出てきた外国人労働者達。この者達は自国で働けばいい。働き口がないならないで、自国で保護を求めればいい。それをしないで、当該国の労働者を押しのけて働こうとする外国人労働者達こそが「自分さえ良ければ」。


この外国人労働者達の祖国は発展途上国。であれば、この外国人労働者達がまずすべきは自国の整備。自国で平穏に暮らしていけるよう、自国を整備することこそがこの者達が負ってる仕事。それを放り出して、既に整備された地で楽に豊かに暮らそうという外国人労働者達こそが「自分さえ良ければ」。やるべき仕事をやらずに、人の生きる場所を奪って、「自分さえ良ければ」でやってるのが外国人労働者。こんなことやってりゃ、そりゃ嫌われもする。


自国民保護は、自国民に自国での労働の場と保護を与えるもの。外国人労働者の自国内での労働の場を奪うだろうが、外国人労働者の祖国での労働の場を奪うものではない。祖国からの保護を邪魔するものでもない。外国人労働者を犠牲にはしていない。自国民保護は外国人労働者を犠牲にするものではない。何も悪くない。



それぞれの国は、各々の自国民を保護すべし。
それぞれの自国民。各々の国の発展の為に頑張って働くべし。
外国人労働者。自国へ帰って自国で働け。自国の建て直しに貢献しろ。
それぞれの資本。まず、自身がベースとする自国の建て直しに貢献しろ。
まずは自国。
それぞれがそれぞれの自国を良くすることを、まずは考えるべき。


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