まったく違う二つの保守 1

http://nonki-nihonjin.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-7152.html?cid=37600680#comment-37600680
ここのコメント欄から。

思想史の文脈では京大の佐伯啓思先生が定義しているように、

自由主義・・・個人の自由を第一の価値として、能力主義、市場競争へと傾く。
保守主義・・・伝統的な家族や共同体、社会秩序の保持を唱え、個人を縛る道徳や規範を重視する。
社会主義社会民主主義)・・・は平等を重視し、福祉や弱者の権利保護を唱える。

というものだと、私は理解しているのですが、冷戦下の日本では自由主義保守主義が接近してしまい、ほとんど同一視されてしまうまで至ってしまい、これが日本の保守派の不幸だったのかも知れません。(以下略)


自由主義保守主義社会主義。私は京大の佐伯啓思先生ってのは知らないのだけど、私も、何かしらの考えを持って意見を言ってる人を分類するとこの三つになると思う。ウヨとサヨの二つではなく、新自由主義と言われるもう一派が三つ巴で争ってるのが今の状況。この内、社会主義のサヨが飛び抜けて馬鹿で基地外じみてるので、
社会主義 vs 自由主義保守主義
という構図になってる。でもって社会主義が革新と呼ばれ、自由主義保守主義が保守と呼ばれてる。だけど、思想的に同類なのは社会主義自由主義で、自由主義保守主義はまったくの別もの。同じのは9条護憲でないことと、特アと一緒になって反日をやらないことぐらい。後は全てが違う。にもかかわらずこの二つが共に保守と呼ばれてて、両者が揉めると仲間内で揉めてると言われる。これは別に仲間割れではない。もともと別のもの、というか互いに相反し、対立するもの。



改めて、まずこの三つの整理から。


社会主義
言葉としては「社会主義」だけど、その主張の中身は個人主義。個人至上主義。「福祉や弱者の権利保護を唱える」となってるけど、そう主張しつつ求めてるのは自分の権利の保護。自分の権利を認めさせる為に、他者をダシに使って訴えてるのがこの者達。求めてるのは自身の権利であり保護。9条護憲は、人の為に戦うなんて御免だってところから。特アの反日を受けて日本を非難するのは、特アから自分が非難されたくないから。特アへの非難を批判するのは、自分が責められたくないから。全てがこんな感じ。自分さえ良ければ。こんなのを「社会主義」で呼んでるとわけがわからなくなるので、以後サヨと書く。


保守主義
保守という呼び名となってるのだけど、保守すべきものが既に失われつつあるので、やろうとしてるのは言葉通りの保守ではなく、失われた伝統的価値観の復活。だから現時点を基準に考えたら保守派ではなく改革派ということになる。これを、今の社会秩序を守るという意味を持つ保守で呼んでると混乱を招くので、以後民族派と書く。


自由主義これは言葉通りの自由主義
皆がそれぞれ勝手にやれと。皆が自由にやりたいようにやれば、自ずと収まるところに収まる。政府は余計なことすんな。といった感じ。志向するのが自由なので、政治にああしろ、こうしろと求めることはない。アレするな、コレするなってのが殆ど。ただし、治安維持や安全保障はされてないと自由が脅かされるので、これだけは求める。これが自由主義。言葉通りなのだけど、「自由主義」が共産主義との対峙で使われてきた言葉の為に、自由主義という言葉の方が、ここでいう自由主義とは違うイメージを持ってしまってる。なので、自由主義でなく、「新自由主義」と以後は書いていく。




サヨは今回はどうでもいい。今回問題にするのは民族派新自由主義。共に保守と言われ、自身で保守と自称するこの両者。対サヨで共闘したりもする故に、互いに仲間と思ってたりもするこの両者。この両者が実は全然別物だってのを、明確にしようと思う。(つづく)


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もう数回前のエントリーから、私が否定してるのは新自由主義の主張になってます。対立という形にせずにやりたかったのだけど、どうもそれでは埒が明きそうにない。なので対立覚悟で新自由主義に挑むことにします。