漁場の維持という考え方

ある漁場があったとして、
この漁場で獲れるだけ獲ってやろうなんて考えて漁をすれば、
漁場は痩せ細り、漁獲高は年々減っていき、
その内資源枯渇して漁場として使えないものになる。



漁場の維持には、稚魚は取らないとか、産卵や成長の期間は漁を控えるとか、漁獲量を制限するとか色々自制が必要。でも個々の自制だけでは不足。抜け駆けを防ぐ為に、協議の場を設けて皆で決まりを作り、皆でその決まりを守る、守らせるという自治組織を作らなければならない。これで、皆で漁場を維持しつつ何時までも豊かな実りを得て生きていける。



さて、そんな様々な決まりで制限の掛かった漁場で、決まりは漁獲高を上げる上で障害だと言い、より多くの漁獲高を上げる為にその障害となる決まりを取っ払ってしまい(規制緩和)、自治組織も機能を縮小し(小さな政府)、個々が自分の収穫だけを考えて、より多く獲った者が勝ちという自由競争(市場原理主義)をやったらどうなるか?


一時的には収穫高は跳ね上がる。無制限の乱獲するのだから跳ね上がる。でもその分漁場は痩せ細る。漁場が痩せ細るので、収穫高はだんだん減っていく。減ったら減ったで、なんとか前年並みの収穫上げようと、あの手この手で無理やり獲りまくる。漁場はますます痩せ細り、そのうち無理が祟ってまったく収穫の期待出来ない海域になる。




最終消費者が形作る市場は、企業にとって収穫をもたらす漁場のようなもの。漁場の維持を考えず乱獲すりゃそりゃあ痩せ細る。永続的に収穫をあげ続ける為の漁場の維持を考えないと。この維持の考えが、新自由主義に欠けてるもの。リバタリアンに欠けてるもの。



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おまけ:
営利を目的とする企業に自制しろったって無理。なので、国や地域の永続的な繁栄を目的とする国や地方自治体が音頭をとって制限を掛ける決まりを作る。決まりを守らせる取締りも、強制力のある国や地方自治体でなければ出来ない仕事。国や地方自治体の役目はとっても大事。