「Re: 人権学習こそが悪しき日教組教育」
以下はやり取りをロムして欲しいで書いていたyahoo掲示板への私の投稿の転載です。
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Re: 人権学習こそが悪しき日教組教育
人権学習は、中で使われてる言葉も含めて聞こえは凄く良いですから悪いものと思えないのでしょうが、よくよく考えてみるとおかしなものであることがわかります。逆に言うと、よくよく考えないとおかしいことがわからないということでもあります。なかなかに難儀です。
>「自分の考え」とは、固定的なものではないということ理解すべきなのではないか?と思ったのです。
通常は固定的なものではありませんが、尊重がそれを固定化してしまうのです。普通は個人の考えなんてものは、他の人からダメだとかわかってないとか未熟だとか馬鹿だとか言われて否定されたりするものです。そうされることで、このままではいけないのだと思い、変えていこうとするから変わっていくのです。しかし、尊重されたら変えなければと思わなくなります。このままでも良いのだと思い、変えようと思わなくなってしまいます。また、「自分の考え」を人から尊重されると、「自分の考え」に自負を抱くようになり、それを自身のアイデンティティーだと思い込み、この時点での「自分の考え」に拘るようになって、意地になってその自分の考えを通そうとするようにもなります。このように、尊重は「自分の考え」を固定してしまいます。
>sdataさんのお説も、「間違っているのではないか?」と思う説でしたが、懸命に目を向けてみました。それが正しいと思えたら、自分の認識を新たにすることができるからです。
それこそが私が望む姿勢です。わからないのであれば保留にしておいて下さい。結論を出さず、保留にしておいて下さい。ある人がこんなことを言っていたくらいに記憶の片隅に留めておいてもらえれば有難いと思います。
>「自分の考えに合致」するかどうかでなく、自分の考えが真実に照らして正しいといえるかを、クラスの一人ひとりが真剣に自問していました。誰もがそれまで固定されていた「自分の考え」からいったん離れて議論していたのです。それは、すばらしい授業でしたよ。
最高にすばらしい授業ですね。基準とすべきは真実・事実・現実といったものにすべきで、「自分の考え」であってはいけません。「自分の考え」は一旦脇に置いて、真実・事実・現実はどうなのかで考えることで、それまでの「自分の考え」とは違う答えが出てきて、その答えとそれまでの「自分の考え」を照らし合わせることで、「自分の考え」の修正が可能になります。この授業はこれを子供に実践させてる最高の授業だと思います。
それはそれとして、ここに個人の考えの尊重というものが無いことに気づいて下さい。
>そして、組合員の先生方がそれをやっていたことを報告します。
末端の組合員の先生方の多くは常識ある大人で、常識的に行動し、口にする理論通りには行動してません。「他人の考えを否定しない」といいつつも、それが悪い考えであれば否定するといったように、言ってることとやってることが違ってるのです。
教育を現実に現場で実践してる教師は、行動を現実に合わせてます。でも、口にするのは現実には合わせてない理論で、考えも現実には合わせてない理論に沿ったものにしています。子供が受け取るのはこの理論です。耳障りの良い言葉で綴られているこの理論に惹かれ、これを受け取ります。ここで問題が起こるのです。
「尊重する」といいつつ尊重しないなんてのは普通に出来ることです。皆普通に尊重してません。それが普通です。現実問題尊重などしていられません。でも理論上では「尊重する」なのです。なので、「何で尊重しないんだ!」「尊重しろ!」といった問題が起こります。その具体例が、モンスターペアレントやモンスタースチューデントといった身勝手な人達です。日教組の教師は、意図せずこうした人々を生み出してます。まずこのことを自覚して欲しいと願ってます。
一応リンクを書いてますが、もうそのトピへの投稿がされなくなってますのでそう遠くない内に消えると思います。整理してからブログにあげたかったのですが、時間的に厳しそうなのでそのまま転載することにしました。