議論の理想形

A 「私はこう思う」
B 「いや、それはおかしい。そうでなくてこうだ。」
A 「コレコレで、こうだからこうなんだ。」
B 「いやいや、そのコレコレはここがおかしい。そこはこうだろう。」
A 「なるほど言われてみれば。では、コレコレでこうだ。」
B 「それでもまだココがおかしい。コレコレでおかしい。」
A 「いや、それはコレコレだからこれで良いんだ。」
B 「なるほど、であればそれで良さそうだ。」
AB「では、こういうことで。」


このような、どちらが優れてるとか正しいとかいう一方が勝利者という議論ではない、双方が互いに相手の意見を検討し、相手の意見を受けて自身の意見を修正し、どちらの意見でもないより良い意見を作り上げていくという議論を私はしたい。


私は自分が正しいと思うことを言う。これが正しいんだと主張する。しかしそれが絶対的に正しいと思ってるわけではない。今、自分が正しいと思ってるからそれを言っているだけでしかない。他の人が異なる意見を言えば、私はそれを検討する。その意見を取り入れて修正したりもする。そして、修正した以前とは違う意見を自分の意見として、これが正しいんだと主張する。


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余談:
再度上記のABのやり取りを見て欲しい。
Aに、自分の間違いを認めさせられたという引け目はない。
Bに、先に自分の意見を受け入れさせてるという驕りは無い。
AB共に自分の意見への執着はない。

ここにあるのは、そのようなことで自分の是非が左右されることなどないという自分に対しての強い自信。意見を変えようと自分は自分。出した異議を引っ込めたからといって自分に傷などつかない。そういう強い自我。自信。自尊心。あのようなやり取りをするにはこれらが必要。


この自尊心。実はそんなに大したものでもない。誰かにこっぴどく負かされて、それでも自分は自分だなと思うことが出来ればその瞬間に持てるもの。負けたって自分は自分。それで自分が自分でなくなったりするわけでもない。まあ当たり前。それを感覚的に掴めれば、そこでこの自尊心は持てる。