検察の責任を軽くしろ

どうするべきか、どうあるべきか(残り)
大阪地検特捜部にノルマが課せられていたという件は、
検察の仕事はノルマを設定すべきものではないってことで。


中国人船長釈放の件、日本経済に関する責任の件。検察は、日中関係やら日本経済への影響やらは全然気にせず、法に則って判断すればいい。外交や経済への影響を考えるのは政治の役目。法に則って判断すると政治上不味いというなら政治判断で、政府の責任として指揮権発動すればいい。政府の責任での指揮権発動なのだから検察には全然責任はない。指揮権発動されたら検事総長は辞任に追い込まれるなんて話もあるようだけど、検察には責任が無いのだから辞める必要はない。責任の無い者に責任を取らせてはいけない、辞めさせてはいけない。



この一連の話は、検察の話であると同時に責任の話。どこにどんな責任があるか。その責任が本来あるべきはどこで、現実にはそれがどこが担ってるか。誰が責任逃れしてて、その責任をどこに押し付けてるか。誰が誰の責任を奪っているか。そういう話。


検察は過度に責任を押し付けられている。責任は、同時に権限でもある。責任を押し付けると、押し付けられた側はそれを権限として振るうようになる。検察のやり過ぎは、周りが責任を押し付けてきた結果。


検察は、被疑者が有罪か無罪かは判断しなくていい。
検察は、社会正義など考えなくていい。
検察は、一定数の罪人を挙げることなど考えなくていい。
検察は、外交も経済も考えなくていい。


これらのことに検察は一切責任を持たなくていい。というか、持つな。持たせるな。


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