虐めは喧嘩の出来そこない。

やられっ放しになってるから喧嘩にならず虐めになる。
やられたら怒って逆襲すれば、虐めではなく喧嘩になる。
やり返せば喧嘩になるところを、やり返さないから虐めになる。

後ろから蹴られた。それで泣いて逃げたら虐めになる。でもね、振り返って怒鳴るなり殴り掛かるなりすりゃ喧嘩なんですよ。でしょ。そういう簡単な話。


虐めは一方的でやってる側にリスクが無いから、際限なくエスカレートする。そして、際限なく続く。長く続くから、虐めに加担する者も増えていく。多対一という形にもなる。


喧嘩となると自分も痛い思いするし、相手の抵抗があって思うようには出来ないし、下手すれば返り討ちにあう危険性だってあり、自ずと限度が定まる。また、双方でやり合うから、短時間でその限度に達っし、終わる。短時間で終わるから、参加者が増える時間はなく、逆にリスクから逃げようと手出し控えて様子見に入る者が出て、多対一が一対一に近い形になる。


虐め
一方的・やってる側にリスク無し・際限なくエスカレートで長期間・多対一


喧嘩
双方向・やってる側にもリスク有り・短時間で限度・一対一


こんな感じ。どっちがマシだと思いますか? 私は喧嘩の方が遥かにいいと思いますね。


相手が手出ししてきた時に、ちゃんと反撃しないから酷い虐めになる。
何をされても、たとえ相手が悪くても、絶対に手を出してはいけないなんて教育がされるようになって、反撃しなくなったから虐めが酷くなった。手を出したら、それが応戦であっても理由すら聞いてもらえず悪いと責められるようになって、手を出せなくなったから虐めが酷くなった。

ダメージは喧嘩の方が少なくて済む。
やられっ放しになるな。
やられたらやり返せ。
面倒がらず恐れずやり返せ。
仕掛けられたら受けて立て。
仕方がないと諦めて、覚悟を決めて受けて立て。



子供の場合は特にそう。子供の喧嘩は遊びの一種。ちょっかいは遊びのお誘い。
遊びのお誘いなんだから受けてあげるのこそが礼儀。それを相手しないなんてのはシカト。無視。無視ってのは一番腹が立つ行為。振り向かせようと、ちょっかいをエスカレートさせることになる。この場合、悪いのは無視した子の方。今の教師は、この無視を子供に教え込んでる。そりゃ虐めも酷くなる。

やられたらやり返せって教えりゃいいんですよ。で、そのやり返し方をこそ教えればいいんですよ。やっていいところまでを教えて、それ以上はいけないって教えて、やり方と限度を教えればいいんですよ。



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それと、手を出したからといってすぐに叱るな。
まず、言い分聞け。何があったのかを聞き出せ。
手を出すことそのものは悪くない。
出してはいけない時に出すのが悪いのであって、
応戦であれば悪くない。


防戦ならむしろ賞賛すべき!



これはアンチ憲法9条ですね。これもまた憲法の問題だったりします。この辺りの意識改革が出来なきゃどうにもならん。改憲なんて夢物語。出来るわけがない。いい加減頭切り替えやがれ、日本人。