嘘も繰り返せば、ちゃあんと“事実”になるんだよ

一人が語るデマを潰す手間と、100人が語るデマを潰すのと、どちらがどれほど大変でしょうか?



あなたは、どれだけのことを直接知っていますか?

あなたが伝聞で仕入れた知識は、直接知っていることと比べてどれだけありますか?



 伝聞で仕入れた知識とは、人から聞いて得た知識。親、大人、教師、先輩、友人、テレビ、ラジオで聞いて得た知識。それと、書物で読んだ話。学校の授業で、講義の形で勉強したものは全部これになる。家に帰って、教科書やら参考書やらを広げて勉強して覚えたものも全部これになる。どれも伝聞で仕入れた知識。


 伝聞で仕入れた知識は、それが事実であるのかどうか、本当のところはわからない。でも、それでも別段困らない。皆が同じ知識を共有していれば他の人と話は合う。同じ前提でものを考えるから、自分が正しいと思うことを他の人も正しいと思うし、他の人が正しいと思うことを、自分も正しいと思う。対人・対社会関係で不都合は起こらない。問題なく生活出来る。それが本当に事実であるのかどうかとは無関係に、人々に“事実”として認識される。

皆が知識を共有してさえいれば、人はそれを“事実”と認識する。
重要なのは、皆が知識を共有しているかどうか。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  


『嘘も100回言えば事実になる』

嘘というのは、人に“伝聞で仕入れた知識”を植えつけるもの。この“伝聞で仕入れた知識”が少数だけしか持たない知識で、皆がその知識を共有していなければ、特に問題は起きない。放っておいても害はない。しかし、それで否定されることなく放っておかれた嘘を繰り返し言いふらされると、この嘘は皆が共有する知識になる。そして、人々からそれが事実だと認識されるようになる。


現実の事実がどうであれ、皆が共有してる知識が社会的な“事実”。
人々が、物事を考え、判断し、話し行動する前提となる“事実”。
嘘も、繰り返すことでそんな“事実”になる。



『嘘も100回言えば事実になると思ってんだろw』
これと同様のセリフを多々見かける。


軽く考えてんじゃねぇ! 言わせっ放しにすんな!!
放っておいたら、その嘘は本当に“事実”になるぞ。
一旦“事実”になった嘘を潰すのは並大抵じゃねーぞ。
放っておいても大丈夫だなんてなめてかからず、全力で対処しろ。
「放っておいても害がない」という段階で、無視せず全力で対処しろ。


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この対処は面倒臭い。当事者ででもなきゃやる気にならない。やらない。

無関係の者にとってはどんな嘘もどうでもいいもの。何が本当で何が嘘かなんて一々考えちゃくれない。「へー、そうなんだ」。これで終わり。それ以上何もしない。つまり、
当事者がやらなきゃ「へーそうなんだ」で終わるってこと。

この責任は、当事者にある。当事者がやらなきゃ誰もやらない。
当事者は、誰の所為にも出来ない。
やるのは当事者。当事者自身が出てきてやりやがれ。