私は「こうでなければならない」に噛み付く

私が噛み付くのは、保守派に分類される人達を攻撃する者です。
保守派に分類される人達を攻撃する保守側に居る者もその対象です。
その者を放っておくと、保守派の人達を攻撃し、
潰そうとしたり、足を引っ張ったりします。
それを止めろといって私は噛み付くのです。


この人達は保守側の戦力になる人でなく、保守側の戦力を削ぐ人達です。
私は、この人達に、保守側の者への攻撃を止めてもらいたいと思う。
だからそう訴える。物足りない部分は当面許容しろと。
そして、わかってもらう努力をしろと。潰そうとするなと。


それでも保守側への攻撃を止めないとなると、この人達は保守側にとって害でしかない。私はこの人達に潰れて欲しいと思う。この人達が潰れてくれると、この人達に保守側の戦力を潰されることが無くなる。この人達に貴重な戦力が潰されることがなくなる。私はそのように考える。



保守側の者が、同じ保守側の者を攻撃する理由はいつも同じ。
「こうでなければならないのに、そうでない。」
自分が思う「こうでなければならない」があって、
それと違うから、あるいは物足りないからと言って、駄目だと切り捨てる。
違うなら、わかってもらう努力をすればいい。
物足りないなら、加勢なり後押しをすればいい。
そうすれば切り捨てずに済む。なのに、
駄目だと切り捨てる。排除しようとする。潰そうとする。
こうなる原因は「こうでなければならない」という絶対的価値観で人を測るから。

「こうでなければならない」という絶対的価値観を掲げると、それと違う者を許容出来なくなる。そして、それと違う者、そこに至らない者を潰しに掛かる。だから私は「こうでなければならない」という絶対的価値観を掲げる者に噛み付く。


私が対峙する相手は「こうでなければならない」といって誰かを責めてる人。こうでないから悪いとか駄目だとか言ってる人。敵か味方かは関係ない。私はそういう態度が許せない。それだけが許せない。それ以外は許す。「これ以外は許さない」だけを許さない。


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