本当に目覚めてますか?

自分はそう思う。そう感じる。
本当にそうなのか?
いや、違う。今まではそう思ってた。
でも今はそれは違うと感じてる。
本当はこうだったのだと感じてる。


このようなシフトが起こるのがいわゆる“目覚め”。
目覚める前と後では感覚が変わってるのが“目覚め”。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

1)他国とは仲良くしなければならない。
  相手に譲歩し、自国が損をするとしても、
  友好的に接し、友好関係を壊さないことが大事。
  自分はそう思う。そう感じる。
  本当にそうなのか?


2)いや、違う。今まではそう思ってた。
  でも今は、他国とそんな付き合い方をしてはいけないと思ってる。
  相手は、自分がこれまで思っていたのとは全然違う危険な国。
  安易に譲歩してはいけない。友好関係が崩れるとしても、
  国益を守る為に、言うべきことは言わねばならない。


3)しかし、やはり皆が仲良く暮らす世界が望ましい。
  互いに悪口を言い合うなんて見苦しいことやりたくない。
  面倒な揉め事は極力避けたい、関わりたくない。
  揉めてまで突っ張るのは嫌だし、暴力だって嫌だ。
  嫌なことはやりたくない。やらなくてもいいようにしたい。


4)戦いたくない。揉めたくない。
  悪口言い合う見苦しいこともしたくない。
  嫌なことはやりたくない。
  ではどうするか。


5)我慢しよう。
  やりたくないことはやらないでおこう。
  そうすれば揉めなくて済む。
  見苦しいこともしなくて済む。
  嫌なことをやらなくて済む。
  周りがどうであろうと日本人は清く正しく美しく。
  それこそが日本人。


6)でもそんな日本人像を汚す奴らがいる。
  乱暴な言葉で喚いてる奴がいる。
  相手の悪口を言って盛り上がってる見苦しい奴らがいる。
  なんてゲスな奴らなんだ。あんな奴らは日本人の面汚しだ!


一段目はサヨク及び、保守に目覚める前の日本人の考えであり感覚。
二段目が、特アの実情を知って目覚めた日本人の考え。
三段目は、特アの実情を知って目覚めはしたが、戦ってはいけない、揉めてはいけない、悪口を言ってはいけないという一段目の時の価値観をそのまま持ち続けてる人の考えであり感覚。
四段目は、三段目の人が感じてる感覚。
五段目は、三段目の人が、自分の価値観・感性・感覚を基に導き出した答え。
六段目は、三段目の人が、二段目の人の「言うべきことは言わねば」に対して感じること。


「言うべきことは言わねば」とは、実質的には相手の悪口を言う事であり、そうなると必然的に互いに悪口を言い合う事にもなり、面倒な揉め事になる。その揉め事から逃げずに踏みとどまり、暴力沙汰になりかけても怯まず突っ張って主張することが「言うべきことは言わねば」を実践した時に行うこと。一段目の感覚をそのまま持ち続けてる三段目の人には、そのどれもが感覚的に「良くないこと」に思えるもの。その為に、一旦は二段目に進んだものの、一段目に戻ってしまう。結果、三段目の人は、「言うべきことは言わねば」と言いつつ、実際にそれをやってる者を非難するという矛盾した言動をすることになる。


一段目から二段目への移行がいわゆる目覚め。これは知識の追加で促される。でも、知識だけが加わっての一段目から二段目への移行では目覚めにならない。この移行に伴って、感覚的なものまで変化しないと目覚めたことにならない。大事なのは感覚的な面での移行。「言うべきことは言わねば」の実践を良と感じることの出来る感覚への移行。ここまでいかないと目覚めたことにならない。言うべきことを言えない。



皆さん、本当に目覚めてますか?
自虐史観に気づいただけで目覚めたつもりになられては困ります。
特アの実態に気づいただけで目覚めたつもりになられては困ります。
自虐史観には気づいたけど、特アの実態にも気づいたけど、
揉めるの嫌だから黙って我慢しようでは何の意味もありませんからね。


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「言うべきことは言わねば」の実践。どうすればいいかわからなくて出来ないというだけであれば問題はありません。実践してる人を見て、嫌だと思わないのであれば、その人のやり方を見て覚えて徐々にでもやり方を覚えていけます。その内出来るようにもなります。嫌だと思う人が問題。出来るようにもならないし、実践してる人の邪魔をします。この人は口で何と言おうと感覚的には目覚めていません。