導きだす答えが違います

大国主は日本最初のイジメ被害者だった』
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1158.html
この「ねずきちのひとりごと」のエントリーについて。

『イジメ被害にあって、相手を恨んだり、相手と闘争的になるのは、よくある話です。
一発殴られたら、10発殴り返せ、ともいいます。

けれど、殴られてもぶたれても、じっと辛抱して笑顔で人にやさしく接するという生き方もある、ということです。』


長い前置きの後、このように書いて本題に入ってます。要するに、反撃せず辛抱しろというこです。
そして話は進み、最終的に辿り着いたのがこれ。

スサノオは言います。
「オオナムチ(葦原色許男命)よ、その生太刀・生弓矢でお前の腹違いの兄弟達を坂の裾に追い伏せよ。
川の瀬に追い払え。
そしておまえは、大国主神となって、葦原中ツ国(=日本)の支配者となれ!」と言葉を送ります。

このあと、オオナムチは、見事に兄貴たちを成敗し、まさに大いなる国の主(あるじ)となります。』

兄貴たちを成敗したという“このあと”以降、一方的にやられっ放しになってたオオナムチは、これには書かれていませんが攻撃に転じてるはずです。それまで二度も殺されてたのが、この逆襲で変わってるのです。でもブログでは以下のまとめになってます。

『たいへんなイジメ被害を受けながらも、やさしい心を失わなかったオオナムチは、世間の支持を得るけれど、兄貴たちによって今度は命を狙われます。

ようやく逃げてきた地底の国では、こんどはスサノオからありとあらゆる試練を与えられる。
その試練を、夫婦で力を合わせて乗り越えたオオナムチは、そこでようやく大いなる国の主となっていきます。

学校で、イジメ被害にあうということは、その子はみんなと違った個性がある、ということです。
そしてどんなにひどいイジメにあっても、正しい心を失わないでいること。
そして数々の人生の試練に打ち勝っていくこと。
そうすることで、はじめて人は大いなる人物として成長していくことができる。

そんなことを教えてくれるのが、オオクニヌシの物語なのではないかと思います。』


“正しい心を失わない”はいいでしょう。正しい心は味方を得るのに役立ちます。自身の成長の為にも必要です。問題は次の“数々の人生の試練に打ち勝っていく”です。ここには反撃に転じて兄貴たちを成敗したことも入ってるはずなのです。それがあって初めてオオナムチは大いなる人物となれたのです。ですので最初に提示したこれは違うでしょ。

『けれど、殴られてもぶたれても、じっと辛抱して笑顔で人にやさしく接するという生き方もある、ということです。』


そこで留まってては駄目でしょ、正しい心を失ってはいけませんが、反撃に転じることだってしなくては。


長い文章を真剣に読み切る人はそういません。長いと、全体を流し読みし、まとめっぽい部分だけをつまみ食いします。何故そうなるのかは(流し読みしたから)よくわからないけど、(まとめがこうなってるから)そういうことなんだろうなあと受け止めて終わりとします。長い話はそれだけで頭が一杯になり、自分で考えることをしなくなります。何も考えない抵抗力を失った状態で、情報を受け取ることになるわけです。結果、上記のエントリーであれば素直に“殴られてもぶたれても、じっと辛抱して笑顔で人にやさしく接するのが良いんだ”と思ってしまいます。大国主の話はそういう話なんだと思い込んでしまいます。なかなか難しいことですが、長い話は注意して読むようにして下さい。



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