社会のルールと法律の関係

今回は図解付きです。図と照らし合わせつつ、読んで下さい。

社会のルールを中心にして、法律で決められた基準がどの位置にあるかをグラフっぽいものにしたものです。波形には意味はありません。あくまでもイメージです。縦に切った時の、社会のルールと法律との差異に注目してみて下さい。



■社会のルール
赤で示した中央の横線が、大勢の共通認識による暗黙の社会のルールです。社会のルールは図2に示したような個々人の判断基準の集合体でして、個々人の判断基準に差異がある為、基準に幅があります。真っ赤な中央部分だと皆が同意しますが、端に寄るにつれてバラけてきて、許すという人と許さないという人が出て揉めたりします。極端に離れた基準を持つ人もいますが、中央部分の大勢はそれを認めず、社会のルールとして認められません。その極端な基準での言動をすると、中央部分の大勢から叩かれて潰されます。独り善がりな基準は世間に通用しません。


■社会のルールと法律の差異のそれぞれのケースについて。
○〈社会のルール=法律〉のa
青で示したのが、明文化された法律です。法律の多くは、皆の共通認識である社会のルールを元に作られます。幅のある社会のルールを正確に捉えることの難しさや、それを文章化する困難さ故に、必ずしも社会のルールに合致したものにはなりませんが、濃い赤線の範囲であればそう問題は起きません。社会のルール=法律という認識でだいたい問題なく、法律に違和感を感じることもありません。aの楕円部分がそれです。


○少し乖離してるbとc
bやcの楕円部分のように、社会のルールと法律が少し乖離してる場合は、運用で調整したり、理不尽だなと思いつつも決まりだからということで法律に合わせたりします。杓子定規な役人と一般人の、ちょっとした言い合いみたいなものは、こういった乖離の部分で起きます。
bの場合は、「この程度で違法なのかよ!」という感じで、
cの場合は、「こんなのが許されるのかよ!」という感じ。
で、「まあ法律でそうなってるなら仕方ねーなぁ」としぶしぶ納得。


○意図的な乖離のd・e
dやeは、意図的な乖離。「今後はこうしていきましょう」という目標を法律として設定したもの。例えば運転中の携帯電話禁止とか、公共の場所での喫煙禁止とか。許される範囲広げる方向では、各種の規制緩和とか。既存の社会のルールとは大きく離れてはいるが、賛同する人も多くいて、その人達の主導で徐々に皆の意識が変わってきて、その内、社会のルールの方が法律に合ってくる。最終的に、社会のルール=法律になって落ち着く。


○著しくかけ離れたfとg
問題となるのが、fとg。この部分の法律は、人々の共通認識である社会のルールとはまったく無関係に、極少数が思想を元に作ったもの。既存の現実を無視して理念で作っているから極めて極端。全面禁止とか、何でもありとか。この代表的なものが日本国憲法。全部禁止の憲法9条とか、無条件に自由を認める人権に関する項目とか。わずかばかりの除外規定があったりもするが、現実には実質的に全面禁止。全部自由。許されてしかるべきことが許されなかったり、到底許されてはいけないような身勝手な行為が法的には許されて、罰することが出来なかったり。


法律が極端になっているfとgのような場合、どう頑張っても守れないことが明らかなので、多くの人々は端から守ろうとしない。なまじ守ってしまうと大変なことになるということで、確信犯的に守らなかったりもする。先のdやeのように、意識の方を法律に合わせようとしたりはしない。法律を守る努力を止めて、皆の共通認識である社会のルールの方に合わせる。法律は守られない。法律を持ち出したりすると非難を浴びる。困った事態になるから余計なことするなと、大勢から寄って集って叩かれたりもする。それがこのfとgの場合。abcdeまでの法律の扱いとは全然違ったものになる。
とはいえ、法律に縛られる公務員(議員含む)はそう簡単に法律を無視出来ない。fとgの場合も例外ではない。かといて守ることも出来ない。だから、解釈で無理やり守ってることにする。実際には違法でも、違法ではありませんとあくまでも言い張る。それがこのfとgの場合。官民共に、法律の扱いが無茶苦茶になる。こういう法律を野放しにしてると、法律に対する認識がおかしくなり、法律が法律として機能しなくなる。こういう現実離れした思想に基づく法律は作ってはいけないし、なくしていかなければならない。



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おまけ:
図3が欧米的な法治主義基本的に社会のルールとしては何でもありで、それを出来るだけの力があれば何をやっても許されてしまう。でもそれではあまりにも弱肉強食。統治だって出来ない。だから、法律でやって良いことといけないことを決めてしまう。そして法律を基準に判断する。合法であれば、それがどんなことであれ許される。違法であれば、それがどんなことであれ一切許されない。どんなに理不尽でも法律が絶対的正義。



図4が人治主義。こっちは本当に、社会のルールとしては何でもあり。捕まりさえしなければ何やってもいい。それが許されてしまう。一応法律はあるけど、為政者側の気持ち次第でどうにでもなる。為政者側の者が良いと言えば、或いは黙認すれば、人殺しだろうと何だろうと許される。逆に全然悪くない人を、為政者の気持ち一つで犯罪者に出来る。それが人治主義。



決まりごとは守らなければいけないという認識を持ってる日本人は、なんだかんだ言いつつも法律を守ろうとします。違法行為には後ろめたさを感じます。現実には、事情があってやらざるを得ない場合があったりもしますが、悪いことをしてるという意識を持ちつつやってます。でも、fとgの場合は別。違法でも全然平気。後ろめたさも感じない。悪いとも思わない。いずれそれがeやdに、そしてcやbに、最後にはaの場合であっても、法律違反を気にしなくなるでしょう。その傾向はもう出てると思います。近年のコンプライアンスの強化はその反動。そう厳しくしなくてもいいaまで法律でガチガチに。方向として図3の法律絶対の法治主義に向かってる気します。私はそれを好ましいこととは思いません。