お金の流れのイメージ

お金は、お金持ち(A)から放たれ、貧乏人を素通りし、小金持ちがその一部を抜きつつ更に流れ、最終的に大金持ち(B)の手に渡って、そこで流れを止める。


お金持ち(B)が手持ちのお金の一部を放ち、貧乏人を素通りし、小金持ちがその一部を抜きつつ更に流れ、最終的に大金持ち(C)の手に渡って、そこで流れを止める。


お金持ち(C)が、手持ちのお金の一部を放ち、貧乏人を素通りし、小金持ちがその一部を抜きつつ更に流れ、最終的に大金持ち(D)の手に渡って、そこで流れを止める。


お金持ち(D)が、手持ちのお金の一部を放ち、貧乏人を素通りし、小金持ちがその一部を抜きつつ更に流れ、最終的に大金持ち(E)の手に渡って、そこで流れを止める。


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お金の流れのスタートは、便宜上お金持ちとした。流すお金を持ってないと、流し始めることが出来ないのでそうした。「そこで流れを止める」も便宜上。実際にそこで流れの全てが止まってしまうわけではない。



「お金を放ち」とは、手持ちのお金を使うこと。
二段以降の「手持ちのお金の一部を放ち」は、大金持ちが手にしたお金を全部使ったりしないことを強調したいが為。大金持ちの場合、入ってくるお金と出ていくお金では、出ていくお金の方が圧倒的に少ない。時々は破産なんてことも起こるけど、多くの場合、手元に多くを残す。



ここで言う「貧乏人を素通りし」とは、入ってきたお金の全てが生活費として出ていくことを表してる。入ってきたお金がそのまま流れ出る。お金の流れという観点から言えば実に理想的。



「小金持ちがその一部を抜きつつ」とは、入ってきたお金の一部を手元に残すこと。これが貯金や資産になるのだが、お金の流れはその分やせ細ってしまう。抜いた残りは、生きていく為の出費として流れ出る。入ってきた流れより少し細くなって。



そして最後に大金持ちの元に流れ着いて、一旦流れは止まる。大金持ちには手元に大量にお金がある。入ってきたお金を使わずとも別段困らない。お金の流れは一旦止め、別のお金の流れを新たに作り出す。



大金持ちの手元にはこれまでの蓄積があるので、入ってくるお金の流れと関係なしお金を流すことが出来る。大量に流すことも出来るし、極わずかしか流さないことも出来る。お金の流れる量を調整する能力はここが一番持ってる。小金持ちにも少しその能力がある。貧乏人にはこの能力は全然ない。



とりあえずここまで。
何を考えるにしても、とりあえず把握。全体像のイメージを作り、それを事実に即した間違いのないものにすること。ここからスタート。


余談:
今までこういうのは、誰かと議論しながらやってたのだけど、今はその相手がいません。それが出来る場所がありません。だから止むなくここで独り言のようにやってます。私の探し方が悪いだけかもしれないけれど、今は議論ってほとんど行われていないような気がします。同じ考えの者が集まってワイワイやってるか、相手のいないところで一方的に反論言ってるか、人の言ってることお構いなしで自分の意見を言ってるだけか。これらはどれも議論ではありません。こんなことやってても進歩ありません。自分と考えの違う人と喧々諤々やるのは、精神的な負担の大きな事です。自分の考えと異なる考えを理解するのは、思考力の部分で大きな負担となるものです。後者はともかく、前者の精神的負担は多くの人が実感したのでしょう。それで、議論をしなくなった。議論を忌避するようにすらなった。
議論はたしかに負担の大きなものです。それだけに、やれば鍛えられます。精神力や思考力が。やらないと衰えます。劣化します。精神力と思考力が。今、日本人は確実に劣化してると感じます。


どっか議論出来るところってありませんかねえ。誰か知しませんか?
自分一人で考えてたのでは、正しいんだか間違ってるんだか全然わからん。もちろん自分では正しいと思ってるのだけど、自分が思ってるだけじゃ全然あてにならない。自分が気づかない間違いに気づけない。私はボコボコにされたい。間違いを指摘されて赤っ恥をかきたい。どっかそんな目に合わせてもらえるようなとこ知りませんか? マジで。