新自由主義的認識との相違は

『政府というのは公共の目的のために働いてもらうため、国民が税金で雇うものである。(Conservative Blog)』

『政府というのは国民が自分達を守る為に作ってる国の運営を、国民の代表者が集って行ってるところ。(sadatajp)』



両者の相違は、政府と国民の関係です。
(Conservative Blog認識)では、政府と国民の関係は、使用人と主人です
(sadatajp認識)では、政府と国民は、自治会の役員と構成員です。


この、両者の関係の違いが、様々な違いを生みます。


(Conservative Blog認識)では、国民は政府に対し、ふんぞり返って要求するだけです。
(sadatajp認識)では、国民は、政府の決めたことに対し、協力することを求められます。


(Conservative Blog認識)では、政府は国民がどうなろうと気にしません。個々人がどうなるかは個々人の責任ですので、政府はそこにはタッチしません。国民を守ることもしません。
(sadatajp認識)では、政府は国民の身を案じます。国民個々がどうなるかを政府の責任と捉え、政府はそこに干渉します。国民を守ろうともします。


(Conservative Blog認識)では、政府と国民は別々のものです。
政府は国民に雇われてる使用人です。国民は、雇ってる主人です。国民はふんぞり返って、政府に仕事しろと言っていればいい立場で、自分では何もしない立場です。政府の仕事ぶりが悪ければ叱りつけ、ああしろこうしろと指図する立場です。
一方政府は、請け負った仕事だけやっていればいい立場です。国民がどうなろうと政府の気にする所ではありません。むしろ気にしてはいけない。雇われてる使用人に過ぎないのだから、ご主人様の行動に口出しも干渉もしてはいけない。それが政府の立場です。


(sadatajp認識)では、政府と国民は一体です。
政府は、国民の中から選ばれた世話役です。国民は、その世話役とは、共に国家を運営する仲間という立場です。ただ世話役に仕事をしろと言っていればいい立場ではなく、世話役に協力して自らも働かねばならない立場です。政府には、仲間である国民のことを考えた行動が求められます。決められた仕事だけやっていればいいのではなく、国民全体がどうすればよくなるかを考えることが求められます。そして、構成員である国民に、世話役として、こうした方がいいとかこうしなさいとかの口出しや干渉をします。困った振舞いをする人に対しては、皆の代表として、皆に成り代わって、小言を言ったり叱ったり、時には罰を与えたりもします。それが政府の立場です。



さて、どちらが自分の認識する「あるべき政府のかたち」に近いでしょうか? 考えてみてください。

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おまけ:
(Conservative Blog認識)では、政府と国民との繋がりは税金というお金のみです。外国人でも税金を払っていれば自国民と同じで、自国民との差をつける理由はありません。
(sadatajp認識)では、政府と国民との繋がりは、仲間意識です。税金を払ってようと外国人は仲間ではなく、自国民と同じにはなりません。