流し込みと循環ポンプ

水槽の水に流れを作る方法。

●流し込みによる方法
他所から水を持ってきて、勢い良く流し込む。
この方法、流し込んだ部分に流れを作ることは出来る。けれど、全体に流れを作ることは出来ない。余程大量の水を流し込まないと、隅々まで行き渡るような流れは作れない。だから大量に流し込まねばならない。


流し込むのを止めたら流れは止まる。行き場のない場所に流し込むのだから何時までも流れてはいない。流し込むのを止めたらすぐに流れは止まる。だから継続的に流し込まねばならない。


大量に流し込む、継続して流し込む、どちらの場合も水槽の水はどんどん増えていく。水量が増えれば増える程、流し込みで流れを作るのは難しくなる。流し込みで流れを作ろうとすれば、より大量の水を流し込むことが必要になる。繰り替えせば繰り返す程、効率は悪くなる。


流し込みによって流れを作るには、他所から水を持って来る必要がある。勢い良く流し込む水、大量に流し込む水、継続して流し込む水、より大量に流し込む水。これをどこか他所から調達しなくてはならない。しかし、調達して流し込めば流し込む程、その効果は薄れ、むしろ滞留は酷くなる。


一方、調達先。大量の水を持って行かれた側は、水が減り、終いには干上がる。場所を変えて取水したとしても、いずれ干上がる。そうこうしてる間に、取水可能なところが全て干上がる。干上がれば、もう水は取れない。流し込みによる方法が継続可能なのはここまで。これ以上の継続は不可能になる。そして最後に、大量の水を抱えて淀んだ水槽と、その周りの干からびた他所が残る。これが、流し込みによる方法の行き着く先。




●循環ポンプによる方法。
吸い込んで、勢い良く吐き出す。
水槽内の水を吸い込んで、水槽内に勢い良く吐き出す。
これで吐出口と吸込口の間に流れが出来る。
吐出口と吸込口を端と端に置けば、隅々まで行き渡る流れが出来る。
流し込みと違って水槽内の水は増えない。効率の悪化はない。
他所から調達してくる必要もない。何時までも続けられる。
大量の水を抱えて淀んだ水槽も、取水されて干上がる他所も発生しない。


前者の流し込みによる方法で何とかしようとしてるのが今の経済政策。
その方法に付随して起こる問題が、現実に起こってる。
そういった問題を解消し、経済を活性化させる方法は、
給水による方法から循環ポンプによる方法に切り替えること。
これが出来れば、経済問題の大半は解決する。


それが出来ないのは、循環ポンプによる方法の内の、給水口を端に置くことがなかなか出来ないから。給水口となるのは「税金」。給水口を置くべき流れの突き当たる先はお金が貯まるところで、所謂「お金持ち」と言われる人の懐。それもフローでなくストックの部分。これを税金として取り上げることが、循環ポンプによる方法で求められること。経済の問題はこれが出来ていないことに尽きる。


今すべきは増税。お金持ちの、ストックを取り上げる効果を持つ増税。この増税をこそすべき。
同じ税金でも、消費税は逆の効果を持つ。流れのあるところから吸い込むのだから、流れを弱めるばかり。消費税はやってはいけない。


以上は、流れを作るという目的で考えた場合。目的が異なれば、上記の見解は全て変わってくる。自分の富を増やす(自分の懐に滞留させる)ことを目的とする者にとっては、循環ポンプの考え方はとんでもないものに見える。この者達は、循環ポンプの考え方には決して賛同しない。理解もしない。
大して難しくもない、というか極めて簡単な流し込みと循環ポンプの理屈を、この者達は受け入れようとはしないだろう。


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余談:
世界は、放って置くと貴族と貧民に分かれてた中世に向う。強い者が上に立ち、弱い者は虐げられ、力のない者は野垂れ死ぬ弱肉強食の社会。さらに、強者と弱者の入れ替わりがある流動的な社会から、強者弱者の地位が確定した流れの止まった淀んだ社会に。これが一番自然な形であり、何もせず放っておけばそこに向う。流れを作るという行為は、そんな自然の摂理への抵抗。積極的に干渉しないと流れは止まる。