枠と型-それぞれが作る社会

前回の続きです。前回を理解し、把握した上で読んで下さい。


■枠のタイプの決まりが作る社会
個々が思い思いに生きる。それが許される社会。ただし、何をしても良いというわけではなく、やってはいけないとされてることもある。その、やってはいけないことさえやらなければ、自由にして構わない。そういう社会。これが枠のタイプの決まりによって作られる社会。


枠の内側は自由。が、自由なだけに、どうするかを自分で考えねばならない。上手くいけば凄く良い思いが出来るかもしれないし、下手やって悲惨な事になったりするかもしれない。自由だからとダラダラ生きていたらジリ貧になったりもする。一生懸命やれば報われるかといえば、必ずしもそうはならない。運に左右されたりもして、良かったり悪かったり。そんな中を色々考えながら、躓いたり転んだりもしながら生きていく結構エキサイティングな社会。


ただ、「やってはいけないこと」が定められているので、極端に悪くなることだけは避けられる。安月給でこき使われるかもしれない。いびられつつ、嫌な思いをしつつ働かなければならないかもしれない。でも、休みなく飲まず食わずでムチでしばかれながら働かされるような、奴隷扱いまではされることのない社会。そこまでの扱いはされなくて済む社会。それが枠のタイプの決まりのある社会。


この社会、何をしても良いというわけではないのだけど、多くの人が自由な社会と認識する。「やってはいけないとされていること」が、通常であればしないようなことであれば、どうせやらないのだから、やってはいけないと言われたところで全然気にならない。窮屈と感じない。やらないことは出来ないが、やりたいことは出来るこの社会を人は「やりたいことをやりたいように出来る自由な社会」と認識する。
「やってはいけないこと」をやりたい人は窮屈と感じますが。




■型のタイプの決まりが作る社会
個々が、定められた通りに生きる。やることは決まっており自由はないが、定められた通りにさえしていれば何の問題もなく生きられる社会。


凄く良い思いは出来ないし目指せもしないけど、その代わり、自分で一々考えたりしなくてもいい。楽でリスクもなく、安心してノンビリ暮らせる社会。


この社会、やっていいことが限定されていて、自由度は低いのだけど、その限定された「やっていいこと」を“受け入れている者”はこれを窮屈と感じない。どうせその「やっていいこと」しかしないのだから、限定されてようと気にならない。窮屈と感じたりせず、安心して暮らせる良い社会とのみ認識する。
「やっていいこと」を“受け入れていない者”、限定(指定)されたこと以外をしたい人は窮屈と感じます。




枠のタイプの社会と型のタイプの社会。それぞれこんな感じになります。
ちなみに、どちらがお好みでしょう? これは好みの問題です。両者に優劣はありませんので、好みでない方を全否定しないように。