自由競争と全保障ともう一つ

100人の兵士がいます。


パターンA
この100人を互いに戦わせます。生き残りたければ戦って勝てと命じて戦わせます。皆必死になって戦います。弱い者や怠け者が大量に脱落するでしょうが、戦いによって鍛えられた少数精鋭が生き残ります。


パターンB
この100人を手厚くもてなします。日常生活で困ることがないように、また困ったことがあれば手を貸して助けてあげてたりして、全員が常に万全の状態であるよう手を掛けて世話します。脱落者は一人たりとも出しません。


さて、強い部隊を作るにはどちらのやり方が良いでしょう?
聞くまでもないですね。パターンAです。パターンBはあまりに生ぬるく、鈍って戦える兵士も戦えなくなってしまいます。そんな兵士が100人いても、戦いの中で鍛えられた少数の精鋭には太刀打ち出来ないでしょう。
ではパターンAが強い部隊を作る方法として最善でしょうか?
部隊の作り方としてパターンBはあり得ませんが、パターンAだって普通ではありません。通常は潰し合いなどさせず、訓練して鍛えるのです。


パターンC
この100人に訓練を施して鍛えます。強い者はより強く、弱い者も可能な限り目一杯強く鍛えます。鍛えたからといって皆が同じように強くなれるわけではありません。各人の力量に応じて役割を分担し、強い者は強いなりに、弱い者は弱いなりに、割り振られた役割をこなせるよう鍛えていきます。最低限の役割すらこなせないものは切り捨てられもしますが、こなせるように鍛えることで脱落者は極力出さないようにします。


このパターンCが普通です。通常の部隊の作り方です。
改めて質問。パターンA・パターンB・パターンC、強い部隊を作るにはどのやり方が良いでしょう? 



ここまでは部隊を引き合いに出しての例えです。
ここからは、上記の例えを使っての、一般社会の話です。
頭を切り替えて下さい。



パターンAは、新自由主義の考え方です。
パターンBは、社会主義の考え方です。
新自由主義者は、パターンBに対してパターンAのやり方がいいのだと主張します。パターンBのやり方をボロクソに言い、パターンAのやり方で優れた者が勝つ自由競争がいいのだと言います。新自由主義者が対比として出すのは常にパターンBです。
逆に社会主義者(最近はこう自称する人はいませんが)は、パターンAを対比として出して、切り捨てずに保護しろと言います。
しかしパターンCというもう一つの普通のやり方があるのです。弱者に対しては、敗者と切り捨てて終わりにするのでなく、救いの手を差し伸べて保護して守ってあげるのでもなく、自身の役割をこなせるように鍛えるというやり方が。
社会全体としてのパフォーマンスを上げるにはこの方法がベストです。パターンAでは敗者がお荷物になります。例え話の部隊でなら、追い出してお終いに出来ますが、社会ではそうは行きません。失業者や生活困窮者となって社会保障の面で多大な負担を発生させます。少数の精鋭が頑張っても敗者がその足を引っ張ります。パターンBではそれこそ社会保障の負担が青天井です。安易に切り捨てず、かといって楽をさせるわけでもなく、厳しく鍛えて何がしかの役割をこなせるようにして社会の役にたてるようにする。自身で稼いで生きていけるようにする。そんなパターンCのやり方こそが、社会全体としてのパフォーマンスを上げるにはベストです。


パターンBはもちろん、パターンAだって良いやり方ではありません。

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社会保障費が多大になっているのは、社会主義者社会保障を手厚くし過ぎたことに加えて、新自由主義者が敗者を大量に生み出した所為です。社会主義者新自由主義者の合わせ技です。新自由主義者社会保障費の増大をやたら問題視しますが、原因の半分は新自由主義者にあります。経済競争の敗者は、社会にとっては凄く負担となるものなのです。その敗者を生み出す政策を推進しようとする新自由主義者は、社会保障費増大の主犯格です。考えなしに敗者を量産すんな、リバタリアン