「逆らう」という安全弁

倫理・道徳・社会正義に反する上司の命令には、自分の責任において逆らうという安全弁は必要です。この安全弁を認めず、絶対的に上司に従うことを要求することは非常に危険です。


基本的には、公務員は自主判断は許されません。公務員の業務に関わる言動は、その全てが上司にあたる人の指示か、指示の集大成である法律に法ったものでなければなりません。しかしこれを一切の例外なく厳密に実行してしまうと、上司にあたる者の不正や法律の不備によって、倫理・道徳・社会正義に反する行為を一般市民が逆らえない強権をもって実行するような事態を防ぐことが出来なくなってしまいます。


上司にあたる人間は神ではありません。間違いも犯すし、時には悪いことだってします。法律にしても所詮人の作ったものです。不備や欠陥があります。そういったのもが大きな災厄をもたらすことを防ぐ為の安全弁として、上記の自分の責任において逆らうという安全弁が必要だと考えます。


この場合、逆らうかどうかの判断は個人による判断です。この個人の判断を無条件で認めることは出来ません。逆らうと決めた個人の判断の是非は、社会によって判断されます。その判断が社会から良いものだと判断されたら、その者は悪を防いだ英雄として讃えられますし、社会から悪いものだと判断されたら、その者は悪人として処断されます。これによってその判断が認められるかどうかが決まります。英雄として讃えられるか、悪人として処断されるか、個人の判断で安易に逆らうことを許さない為に、このリスクを判断する者に課すことも大事なことです。事前に、一切逆らってはいけないとも、自由に逆らっていいともしてはいけません。「逆らうなら、自分の責任において覚悟をもって逆らえ」こうでなければなりません。そして事後に、逆らったことが良かったのかどうかしっかりと判定し、称えるなり処断するなりを行わねばなりません。




sengoku38一色正春氏英雄論の恐怖
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私は「逆らう」という安全弁が否定されることに恐怖を感じます。
また、自由に逆らっていいなんて主張を許容する気もまったくありません。