「まずは疑問を持ってみる」はダメ

「まずは疑問を持ってみる」は良くない姿勢です。
人は疑問を持とうとしなければ、疑問が持てないわけではありません。そんなことしなくとも、おかしいと思うし感じもします。何かしらの理由があってそう感じた時に疑問を持てばいいのです。そういった疑問が芽生えた時に、どう対処するかが大切というのには同意します。


しかし、疑問に思う理由が何もない最初の段階で疑問を持とうとするのは、無理やり疑おうとする行為で、人を疑心暗鬼に陥らせます。人には想像力も連想力もあります。疑おうとすれば何だって疑えます。妄想を掻き立てどんどん悪い方へ考えていくことが、容易に可能なのです。
一旦疑えばその疑念を解消するのは容易ではありません。疑って掛かってますから、どんな言葉もどんな情報も、そのもも素直に受け取ることが出来ません。自分の疑念に合わせて捻じ曲げます。頭から嘘だと決めつけて無視したりもします。そんな状態で疑念を解くことなど至難の業です。結果、特別何かあるわけでもないのに延々疑念に囚われ続けることになるわけです。そういった疑念は対人コミュニケーションに悪影響を及ぼし、人間関係をおかしくします。そういった人間関係の悪化は自身に返ってきて、自身の人格を歪めることにだってなります。良い事一つもありません。疑問は、疑念を感じてから持てば十分です。初めから疑って掛かることはすべきではありません。

まずは「知る」です。知って疑念が出てきたら「疑問を持つ」です。順序はこうでなくてはなりません。