コストは予定内で

コストはいくらでも多く出来る。


建設コスト
要求レベルを上げていけばコストは簡単に、倍にも何倍にも跳ね上げられる。
普通は予算が限られてるから、欲しいだけのものを求めることは出来ず、
妥協して予算内で出来るもので我慢する。予算をオーバーするとしても、
許容範囲内で多少オーバーする程度。許容範囲超えたら、負担出来なくなって
完成させることが出来なくて、全部パーになるのだから、部分的に諦めてでも
妥協する。普通はそう。

ところが予算がオリンピック施設では簡単に2倍3倍になんてやってる。
でもって、それでやれと平然と言い放つ。
そうなる原因は自身で負担しないから。でもって都には負担する力があるから。
我慢や妥協が出来るのは、限度オーバーの負担を負う苦しみより我慢した方が
いいと思うから。嫌々ながらも我慢も妥協もする。
限度オーバーの負担という苦しみがなければ、
負担しようとすれば出来る状況なら、
そりゃ嫌な我慢や妥協をするわけがない。

この者はコストを、負担を伴うものと考えてない。
負担を伴うことが絶対のコストを、負担考えずに考えてる。
つまり、コストのことなど考えていないということ。
こんな者に決定権を持たせてはいけない。関わらせてもいけない。
この者の言い分など戯言。まともに聞く必要ない。


予算は総予算との兼ね合いで決められる。
全体の中で、どれだけをそこに割くかを考えて決められる。
全体を考えない者に決める権利も口出しする権利もない。
この者の言葉に耳を傾ける必要は、まったくない。


予算は総予算との兼ね合いで決められる。
全体の中で、どれだけをそこに割くかを考えて決められてる。
であるから、全体を考えられないなら、全体を考えて決めた者の決定を
基にして考えなければならない。つまり予算内で考えねばならない。


コストが増えて予算を遥かにオーバーするというなら、
何かを削れ。満足なものが出来なくとも仕方ない。
妥協して我慢しろ。諦めろ。
でないと際限が無くなる。



予算オーバーは必ずどこかにしわ寄せが行く。
そこでは妥協や我慢を強いられる、否応なく。予算オーバーの為に。
予算オーバーを軽く考えるな。
コストは、妥協して我慢して、予算内に収めろ。それが基本。