政治・行政の信頼回復と情報公開

政治・行政を信頼するとしたら、
これはもう、盲目的に信用するしかない。


何故か。
一般人には、政府や行政が信頼出来るかどうかを判断出来るほどの情報が得られないから。
政治・行政が、どんなに情報公開しようと透明度を高めようと、
情報量が多すぎて、受け手がそれを受け止めきれない。
受け止めた部分的な断片的な情報が正しいのかどうかも、断片的なので判断出来ない。

これではどうしようもない。現実問題任せてやらせるしかないのだから、
信頼するしかない。正しいかどうか良くわからないけど、仕方なく信用して任せる。
信頼するとしたらこれしかない。



では、政治・行政が何やっても盲目的に信用するのか?
もちろんそんなことはない。
政治・行政がおかしなことを言ったりやったりしていれば、信用出来なくなる。
おかしいかどうかは、信用するときとは違って、部分をみればわかる。
部分が間違ってるのに、全体では正しいってことはないから。
それでも、少々のことは目を瞑って信頼するしかない。
良くわからないから、とりあえずは信頼する。
実際そうしてる。それが庶民の立場。



部分であっても、そこが極端におかしければ、
間違いなくおかしなことをやっていると、はっきりとわかる。
こうなれば、信用出来ないってことになる。
さすがにこれはおかしいだろうとなって、目を瞑っていられないとなって、
政治・行政が信頼出来ないってことになる。
信頼出来なくなるのはこういう時。



つまり、政治・行政が信頼出来るかどうかは、おかしなことをやってないかどうかだけ。
一般庶民の許容範囲を超えるほどにおかしなことをやってないかどうかだけ。
情報公開とか、ほとんど意味ない。
細かい行政文書の作成とか記録して保存とかも意味ない。
そんなことやっても信頼回復なんて出来ない。
無暗と労力を消費するだけ。それも、本来業務の労力を削いでの消費。浪費。
信頼回復したいなら、そんなことしなくていい。
おかしなことをやらないければいいだけ。
おかしくないことをやればいいだけ。
要するに、本来業務をちゃんとやればいい。
それだけ。




人間は全知全能ではないから、知らない事が必ずある。
そんな人間が知らないところで何かあるのではと疑いだすと、
際限なく疑うことが出来る。疑惑の完全なる解消など絶対無理。
疑惑を晴らさないと信用出来ないなんていってる人は、
何をしようと信用することはない。
そんな人の為に労力を割くのは無駄。
そんな人間の言うことなど気にせず、本来業務に努めればいい。
おかしなことさえしなければ、信頼は得られる。
政治・行政が信頼回復するにはこれしかない。これで十分。